今年も多くの感動を生み、24時間テレビが無事終わった。夏休みの終わりといえば、24時間テレビ。24時間テレビといえば、障害などを抱えた人たちの感動という、日本人がすごしてきた当たり前の8月末が今年は違ったものになった。

私は24時間テレビを観たことがない。これからも観る予定もない。その理由はメディアが都合の良いように作り上げた感から醸し出される「感動」への違和感だ。

この長年感じてきた違和感こそ、「感動ポルノ」だ。

障害者は「感動ポルノ」として健常者に消費される、この言葉の裏にある本当の障害https://soundcloud.com/user-563726568/ohr52gmu9ga1 最近ツイッター上では「NHKのバリバラが日テレ24時間テレビに喧嘩を売った!」と話題になっているのをご存知でしょうか。…1234times.jp

メディアがチャリティーを名目に、当たり前のように作り上げてきた「不文律な公式」。
募金という側面から見ると一定の評価はあるだろうが、その功罪は大きい。

2016年8月28日 19:00@Eテレ、その功罪に対し正面から疑問を呈する番組がオンエアされた。

24時間には程遠い30分番組としてオンエアされた「バリバラ」の生放送。

メディアが作り上げてきた、作り上げてきた「感動ポルノ」を検証し、

かたよった価値観に対し一石を投じたことは大きな意味を持つ。
それが、私たちのようなwebメディアではなく、公営放送の番組を舞台にしたことにも着目すべきだ。

感動が「売り物」であることは間違いではない。私たちは感動する映画を観て涙するし、感動する本を読んで人生の参考にする。

しかし、これはどうだろう?

今年の24時間テレビには小児麻痺のある少年が富士山を登るという企画があった。

その中での1シーン。

彼は、本当に富士山を自らの意思で登ったのだろうか?
映像を見る限り、無理やり何かをさせられているような気がしてならない。ここまでくると感動ポルノは悪質なフィクションとも言える。

視聴者も、「それ、感動ポルノじゃないの?」と冷静になるべきだ。

web上には様々な意見が投じられている。

賛否両論あるだろうが、夏の終わりに「感動ポルノ」について、深く考えてみてはどうだろうか?