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2019.09.10:フリーペーパーVol.42発刊!

村下孝蔵の命日6月24日に、名曲「花れん」を聴こう

村下孝蔵がこの世を去って20年、いつまでも瑞々しい言葉の数々

1999年6月24日、この日、シンガー・ソングライター村下孝蔵が亡くなりました。46歳という若すぎる死でした。彼が世に送り出してきた数々のヒット曲は、美しいメロディーに甘美で研ぎ澄まされた歌詞の乗せられた身につまされるものばかり。

今回取り上げる曲は「花れん」です。1984年4月1日、CBSソニー発売のシングル「少女」B面に収録されたこの曲は、ファンの間でも名曲として人気を集めています。村下孝蔵が亡くなって今年で20年が経ちました。彼の曲がいつまでも多くのファンを魅了し続ける理由を、楽曲「花れん」から読み取っていきます。

冒頭の「もしも」がすべてを語っている

もしも、で始まる歌詞の冒頭。その後、Aメロ全編にわたってほぼすべての内容が、現実には存在することの難しい仮定の話に終始しています。

”もしも花びらを集めて”

”もしも花びらを集めて、青空に心をかいて、遠くのあなたまでそのまま、伝えることができたなら””たとえば白い花ならば、寂しくて泣いていますと、紅い花なら元気ですと、教えられたなら”

叶わぬ望みを持ち、叶わぬと分かっていながら望む気持ちがいつまでも消せないとき、人は苦しみの果てにありえない幻想にとらわれてしまうのかもしれません。「花びらで青空に心をかく」ことは、現実にはできません。しかし、どうしても何かを伝えたい人がいて、しかし伝える術を持たないとき、人は悩み苦しむ果てに、幻想という名の「詩」を描いてしまうのでしょう。

”心が形で送れるものなら”

自分の思いを言葉で正確に相手に伝えるという行為は、おそらく誰もが成し遂げられないことでしょう。心を込めて発した言葉が、言葉が形を持たないばかりに意図せぬ意味で相手に伝わってしまうといった悲しい思いは、多くの人が経験しているのではないでしょうか。

もしも心の鋳型のようなものが存在し、あらかじめ存在するその型に沿って作った寸分たがわぬ”モノ”として心を渡すことができれば、意図せぬ誤解による悲しい別れはこの世からなくなるのかもしれません。

”小鳥になりたい誰よりも近くで”

自分だと知ってもらえなくてもいいから、害もなくあなたのそばを自由に飛び回る小鳥でいたい

ありえない願い

歌詞はさらに、不可能なことへの願望が続きます。主人公の恋い焦がれる苦しみは、彼を幻想の世界に閉じ込めてしまうほど重いものとして描かれます。夢から覚めた主人公は、思い出の品であるビーズの古い首飾りを取り出します。大切な思い出の品はしかし、つないだ糸を切り床に散らばってしまいます。

ビーズがどのような理由で主人公の手に渡ったのか、そのことについての詳しい記述は歌詞の中には見当たりません。もしそれが、今は会うことの叶わなくなった人から受け取った品であるなら、糸が切れビーズの玉が散らばってしまう様子は、主人公にどこまでも容赦なく仕打ちを与え続ける、現実の象徴のようにさえ思えてきます。

村下孝蔵が得られなかったこと

前述の通り、「もしも」に始まるAメロの内容は、ほぼ全編にわたって主人公の希望を語るものばかりでした。

青空の花びら

徹底した自分の本音をさらけ出す姿勢が、彼の曲が聴く者の心を打つ、最大の要因です。そして、さらけ出す心の描写には、一言の嘘もあってはなりません。歌詞を安易な反省文にすることを避け、矛盾や間違いだらけの本来の自分自身を言葉で見せることがなければ、人の心のもろさを聴く者に突きつけることなどできないでしょう。曲の持つリアリズムなど、一言の嘘で簡単にその価値を失ってしまうからです。

花れん

村下孝蔵の曲は、その多くが今でもファンを魅了しつづける名曲ばかりです。亡くなってしまっている今でさえ、彼の曲に惹かれる新たなファンが生まれるほどです。

かたくなに言葉の力を信じ、言葉を紡ぎ続けた村下孝蔵。そんな彼にとって、最後まで手の届くことが叶わなかった対象がやはり言葉だったのではないでしょうか。一生をかけてすら想いの一部さえ伝えることのできないもどかしさに、最期まで悩み続ける人生だったのかもしれません。

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