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2024/12/10:フリーペーパーvol.105発刊!

僕が思う日本一のサウスポーピッチャーは杉内俊哉だ!

ホークス、ジャイアンツと2球団で日本一に貢献した左腕

福岡ソフトバンクホークス(ダイエー時代も含む)と読売ジャイアンツで活躍したサウスポーピッチャー杉内俊哉選手。怪我が思うように治らず、37歳で現役引退を表明しました。野球好きな僕は、次々に三振を取る杉内選手の大ファンでした。

 高校野球ではノーヒットノーランを達成した

鹿児島実業高校でエースとして活躍した杉内選手。第80回夏の高校野球では1回戦で青森代表の八戸工大一高と対戦し、21人目のノーヒットノーランを達成!

2回戦で松坂大輔選手と対戦

ノーヒットノーランを達成した杉内選手は一気に注目を浴びます。このときは「松坂世代」といわれていて、東神奈川代表には横浜高校が出場。ここには春夏連覇を狙う怪物松坂大輔選手がいました。
「早く横浜と、松坂選手と対戦したい」
とも話していた杉内選手。それがなんと2回戦で実現します。

結果は「0−6」と松坂に軍配

「鹿児島実業−横浜」「杉内−松坂」とエースピッチャー対決に注目が集まったこの試合には、超満員の観客が甲子園のスタンドを埋めました。
5回まで「0−0」と接戦でしたが、6回裏に横浜高校が犠牲フライで1点を先制。鹿実も反撃したいところですが、松坂選手が投げるボールに三振やゴロと完璧に抑えられます。
そして8回裏に横浜高校が杉内選手に猛攻をしかけ、松坂選手がホームランを打つなど、結果は「0−6」と完敗でした。

福岡ダイエー、ソフトバンクホークス時代

三菱重工長崎に就職してから、2001年福岡ダイエーホークスにドラフト3位で指名された杉内選手。左腕のエースが付ける背番号47を付け、ゆったりとしたフォームから140キロ台のストレートに、多くの選手が「あのボールは打てない!」と話すキレのあるチェンジアップ。そしてカーブやスライダーなど変化球も使い、バッターから次々に三振を奪っていきます。

2005年には沢村賞も受賞

杉内選手が大活躍したのは2005年シーズン。18勝4敗、218奪三振、防御率2.11という輝かしい成績を残しプロ野球特別賞の1つである沢村賞を受賞。杉内選手はパ・リーグのサウスポーピッチャーでは初の沢村賞を受賞しました。

2010年にダルビッシュ選手に投げ勝ち、涙したシーン

杉内選手といえば、メジャーで大活躍中のダルビッシュ有選手に投げ勝った試合です。
2010年シーズンにマジック2と優勝が間近にあったソフトバンク。ここ4試合勝ちが付かなく、不甲斐なかったという杉内選手は、日本ハム時代のダルビッシュ選手と対戦して「1−0」と完封勝利を上げました。ヒーローインタビューで感極まって涙する杉内選手のシーンは今でも忘れません。

2012年に読売ジャイアンツに移籍

2012年にFAで杉内選手がどこの球団に移籍するのか?注目を集めましたが、決まったのは読売ジャイアンツ。桑田真澄さん以来、エースピッチャーが付ける背番号18を付けてマウンドに上がりました。

楽天戦でノーヒットノーランを達成!

2012年5月30日の交流戦、東北楽天ゴールデンイーグルスとの試合でマウンドに上がった杉内選手。楽天のピッチャーは現在ヤンキースで活躍する田中将大選手でした。

スコアは2−0と9回まで楽天打線をノーヒット、無四球で完全試合が目前と迫り、緊迫したムードが東京ドームを包みました。ジャイアンツファンからは「杉内!杉内!」と大声援。そして2アウトとあと1人で、1994年に元巨人のピッチャー槙原寛己さんが完全試合を達成して以来の記録が迫ってきました。

しかし、最後のバッターにフォアボールを与えてしまい、惜しくも完全試合はなりませんでしたが、次のバッターを見事三振に取りノーヒットノーランを達成!!
「これぞエースピッチャー杉内俊哉だ!」
と凄さを見せたピッチングでもありました。僕もこの試合をテレビで観ていましたが、試合終了後に涙して拍手をしていました。

高校野球、プロ野球と2回ノーヒットノーランを達成するって凄いことです!!

怪我に苦しみ、今年で引退を表明

2015年7月に股関節に痛みが走り、シーズン終了後には右股関節の手術を受けました。リハビリ生活を続けながら、いつかマウンドに復帰する杉内選手を見たかったファンもたくさんいましたが、その勇姿を見ることは叶わなく、杉内選手は37歳でユニフォームを脱ぐ決意を表明しました。

通算142勝。怪我がなければ200勝もできたと思います。ワールド・ベースボール・クラシックやオリンピックと日本代表に何度も選出され、プロ野球の総奪三振数は2156個と現役選手では最多数であり、沢村賞1回、奪三振タイトルも3回も受賞した杉内選手は日本一のサウスポーピッチャーだと思っています。

これからは指導者として若手ピッチャーの育成や、いつかは監督として杉内選手のユニフォーム姿を見たいです。17年間のプロ野球生活、本当にお疲れ様でした。僕は杉内選手のピッチングが1番好きでした!!

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