「勇気と感動を与えたいなんて思ってない」
誰であれ、スポーツを楽しむことは素敵なことです。
2020年にオリンピックとパラリンピックが東京で行われることに関係なく、何らかの種目に出会い上手くなりたいと望み、競技者は練習します。
その姿に感動をおぼえ、賞賛することももちろん個人の自由です。
しかし、そもそも障害者でスポーツにいそしみ、大会に出場するまでに上達した人たちは、自分を見て感動してほしいと思っているのでしょうか?
彼らが大学を出て会社員として就職し、ごくあたり前に勤め上げるような人生を送ってはダメなのでしょうか?
障害者を「感動」に利用するなと言われるようになったけど、私の場合は障害者だから感動するんじゃない。障害の有無に関わらずスポーツ選手でも花火職人でも普通の小学生でも高校球児でも、一生懸命何かをやり遂げようとする姿に感動するのであって私の中では障害者だからという特別扱いはそこにはない
— しおり (@stu_sor) 2017年8月28日
ざっくり
パラリンピックって感動だけ見てればいいの?
障害を持つ人が欠損や不自由を工夫や器具で乗り越え、障害のない人と同じように一定の結果を残していく行為に、マイナスからの克服のような達成を感じ、健常者は感動欲を満たされるのかもしれません。
障害者はただの人間
競技が終わると(競技中もですが)、障害者アスリートは不自由を抱えたまま、バリアフルなこの日本で生きていかなくてはならない不自由な単なる存在に戻ります。
普通の、欲にまみれた人間です。
過度に感動を演出され、自分の日常がテレビ次第でカネになることを知りますが、それに対し適当な対価が支払われるわけでも恒常的な自分の生活安定が手に入るわけでもなく、テレビだけが大きな利益を手にすることも、ポルノとして見世物にされた感覚におちいる一つの理由なのかもしれません。
生活に必要な「実利」
障害者が極めて貧しい経済環境で生活していることに、焦点を合わせる番組はほとんど組まれません。障害者スポーツしている人も、お金の苦労もなくスポーツの練習だけしているわけではありません。
むしろ、貧困なのにやりくりしている人の方が多数派と言っていいでしょう。長期的に人生設計していくなかで、不可欠なものは誰だってお金です。
@xex01 代々木体育館の一帯を2日間使う障害者スポーツの大規模なイベントらしいですけどなぜかアイドルフェスみたいになってますね。 pic.twitter.com/axMHcKdn8V
— 豆ニスト* (@mamenist_) 2015年9月29日
障害者スポーツの競技環境
障害者スポーツには、車椅子バスケットボール、車椅子ラグビーなど、高額な道具をともなって行われる競技があります。
国からの補助金
リオデジャネイロでのパラリンピックでも日本選手は活躍しましたが、大会終了後に競泳の木村敬一選手は活動拠点の不足を訴えています。
障害者スポーツをリハビリの一環から勝つための競技へと変え、仮にプロスポーツまで発展させることができるなら、その時は感動を求めてもいいのかもしれません。
しかし、実際には、健常者に比べ障害者スポーツへの強化費は不足しているのが現状です。選手自身がスポンサーの獲得に奔走しなければならない例もあります。
東京パラリンピックではどのように変化しているのでしょう。
【参加率36% 日本の約2倍 ドイツの障害者スポーツのなぜ】
ドイツでこのようになっている理由がわかりました。https://t.co/0Pcbl0pU8J— NHKニュース (@nhk_news) 2018年5月6日
東京パラリンピックで勝ってほしいなら
何かと特別な感動の対象と見なされがちな私たち障害者ですが、多くの障害者アスリートは「べつに、他人の感動欲を満たすために自分の人生の時間をスポーツに割いているわけではないよ」と、思っていることでしょう。
競技の目的
スポーツする理由は「自分が」スポーツすることそのものです。他人の誰かからの賞賛を目的としているわけではありません。
プロなら別かもしれませんが、アマチュアスポーツにそのような義務もありません。
勝手に感動だけされるくらいなら、「障害者個人としての経済的安定」「競技環境の拡充」「遠征などの費用負担」など、より実利の伴う具体的な国や機関による保証のほうが、競技者にとってはるかにありがたいものとなるでしょう。
スポーツで輝くことというのは、障害者の輝き方のうちの一部の方法にすぎません。むしろ、障害者が得るべき権利の最たるものは「何でもない当たり前の存在としてみられること」です。
しかし、現在の日本において、障害者があたり前のように就職面接を受け、職場を得ることはまったく実現していません。信号をわたる小さな電動車いすに奇異の眼差しを送る健常者に、奇異の眼差し(普通ではないと思っていることの証)をやめさせることは実現していません。
「誰からも注目されず、あたり前のようにそこに居ることが許される普通の存在」であることには誰も協力しようともしないのに、パラリンピックで金メダルを取ったことに対しては取ってつけたように感動して賞賛することくらい、誰だって簡単にできます。
優しくなることは最も難しい
障害者の権利を守り障害者が生活しやすい社会の実現をもし本当に願うなら、優しさとして外見では分かりにくく実践もより難しいとは思いますが、「障害者に対しさりげなく」「周囲の健常者の目には分かりにくく」親切でいることが求められているのではないでしょうか。
それがおそらく「最も難しく最も優しい」障害者への思いやりの行為で、私たちがいつまでたっても実践できずにいることだろうと思います。
向井理主演、障害者スポーツの生みの親・中村裕の半生を描く感動の物語『スペシャルドラマ 太陽を愛したひと』 https://t.co/zPjAs6WS51 #向井理 #上戸彩 #志尊淳 pic.twitter.com/S5MDGXQdgR
— music.jpニュース (@musicjpnews_mti) 2018年8月21日
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