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2024/12/10:フリーペーパーvol.105発刊!

入退院を繰り返し、将来の夢だった保育士を諦めた頃の話

悩みに悩んだ末に答えた決断は将来の夢を諦めたこと…。

クローン病という難病を患ったのは中学2年生の頃。完全に治す治療法がなく、一生付き合っていかなければなりません。腹痛や入院生活を繰り返し、将来の夢が絶たれました。

将来の夢は保育士に就きたかった

僕が目指していた1番の就職先は保育士でした。子供たちと触れ合うことが好きで、遊んであげたり面倒を見てあげたりとよく田舎のお爺ちゃん、お婆ちゃんの家に帰ると従兄弟の甥っ子や姪っ子と遊んであげるのがお約束でした。

外で遊んであげたり、テレビゲームをしてあげたり。

甥っ子たちとは野球が好きだからキャッチボールなどで広い公園で遊んであげたりしました。僕も野球が好きだから僕から甥っ子たちに「よし!キャッチボールするぞ!」と誘うことも。
時間を忘れるぐらい遊んであげていました。もちろん、危険がないように周囲を確認したり、遅くならないようにとちょこちょこ時計を見たりと責任をもって面倒をみていました。

雨などで外で遊べないときは、家でテレビゲームなどで対戦相手をしてあげたりと、何かと子供たちと触れ合うことが好きでした。

将来は保育士になろうと決めた!しかしクローン病が襲ってきた!

17歳になった僕は海外へ修学旅行にも参加できたほど体調も良く、クローン病の症状もほとんどありませんでした。そして進路先を担任の先生と相談して、「保育士さんになりたいです」と決め、保育士を目指せる大学へ行くのが夢だったのです。

主治医から勧めはされなかった、そして高校3年生で長期入院

高校3年生、進路が決まる大事な年に強烈な腹痛に襲われました。緊急入院となり、絶食生活。炎症反応もありえない数値でした。

ある日主治医が病室にやって来て、
「進路とか決まってるの?」
と聞かれました。
「はい、保育士になりたくて大学へ行きたいんですよね…」
と答えました。
それを聞いた主治医は「うーん」とした表情になり、こう答えたのです。

「保育士はハードだよ。クローン病は重労働をなるべく避けないといけないよ」

どの職場でもハードなのは分かります。そしてクローン病の患者の皆さんそれぞれだと思いますが、重労働は禁止されているのです。退院後は「仕事は重労働を避ける」と書いてあります。

子供たちの成長を見守りたかった将来の夢

子供たちと外で走リ回って遊んであげる、抱っこしてあげる、これが主治医からはお勧めできないと判断されたのです。
しかし、こうも言われました。
「将来を決めるのは君自身だからね。」
と。そうです、病気であれ将来を決めるのは自分自身なのです。主治医はあくまで忠告しただけ。

本当に考えました。色々な人とたくさん相談しました。悩んで悩んで悩んだ結果、保育士の夢を諦めてしまいました。今の体調に自信がなかったからです。

18歳〜20歳までがもう入退院の繰り返し、退院してもなかなか外にも出られない…。そんな僕に大学へ行ける体力がない。就職できたとしても、体調の変化の波が激しく子供たちの面倒をずっと見てあげられない。
下痢や腹痛でトイレが必須なクローン病。トイレに行って目を離した時に子供たちが怪我でもしたら…と思うと、もう夢を諦めるしかありませんでした。

年に何回かですけど、同じ病気の仲間と会って話し合ったりしながら、
「できるならデスクワークの仕事、主にパソコンを使っての仕事がおすすめかもしれないよね」
というような話をよくします。
それから事務関係の仕事にも就きたい夢もあって、今は就労継続支援B型事業所でライターとしてパソコンの前で記事を書いたり、取材に行くなどの仕事をしています。

体調の自己管理も大事なクローン病。いずれは完治することを願いつつ、また違う夢に向かって僕は頑張って前へ進んでいます。

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