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2024/12/10:フリーペーパーvol.105発刊!

障害者の未来は自分たちで変えられる!川﨑良太さんの闘い(1)

鹿児島から世界へ!平等に生きる社会を目指して

人は誰もが平等に生きる権利を持っています。
なにかを諦めたり、断られたりする理由が障害であってはならないはずです。
ですが、実際はどうでしょうか。
今回、自立生活センターてくてくの代表である川﨑良太さんに自立生活センターと自立生活運動について、お話を伺う機会をいただきました。
自立して生活することとは、障害とは、差別とは。
それは障害者に限らず、すべての人間が考えていくことだと感じました。
24時間介護を利用しながら海外にも飛び、訴えを続ける川﨑さんのお話を2度にわたってご紹介します。

「自立生活センターてくてく」ってどんなところ?

鹿児島中央駅から中洲通りの電停に向かって徒歩約10分、マンションの1階にNPO法人 自立生活センターてくてくはあります。
今回お話を伺ったのはてくてく内、奥の一室。
相談者の話を聞く部屋でもあり、「愛の説教部屋」と呼ばれているそうです。(どきどき…!)
わたし自身もひふみよベース紫原で働き、福祉サービスを利用しながら生活しており、てくてくにお世話になっています。
自立生活センターというと、実家や施設を出た(または出たいと考える)障害者の相談支援の場所と考える人が多いかもしれません。
しかし、お話を伺うにつれて自立生活はその場所を出ることだけではないことが分かりました。
自立生活センターてくてくは、次のような活動を行っています。

自立生活プログラム(ILP)

自立生活に向けて目標を立て、制度やお金の使い方などの情報を提供します。
自分の意思より、周りの思いを尊重してしまうことが多い障害者。
怒ることができない人もいるため、親と話し合いをする方法を教えることもあるとか!
プログラムはグループや個人、短期的なものや長期的なものと参加者に合わせて企画されます。
学生さんも参加できるよう、土曜日に行うこともあるそうです!

自立生活体験室の利用・介助者派遣

いきなり、家を出ることは不安が大きいものです。
自立生活の体験ができる部屋(普通の賃貸アパート)で実際に生活し、介助者がどれほど必要かなど、自分に合った生活スタイルを知ります。
自立生活は自己責任を伴うぶん、きゅうくつに感じる人や自分自身に限界を決めてしまい、あきらめる人もいるそうです。
そのためにも、体験することの大切さを感じました。
てくてくでは、介助者派遣も行っています。

ピア・カウンセリング

ピアは仲間を意味し、障害者同士で話を聞きあいます。
お互いが対等な立場で話すことで心や精神面をサポートし、自立生活への実現へつなげていきます。
ビア・カウンセリングの目的はありのままの自分自身を受け入れて、本来持っている力を取り戻すことで、とても重要なことだと川﨑さんは話してくれました。

各種相談(相談支援事業所てくてく)

社会福祉サービスなどを利用するための計画の作成、調整や見直し(モニタリング)を行います。
その他、日常生活や就労、住居などの相談も請け負っています。

人権擁護活動

障害者のあらゆる人権問題に目を向け、差別のない社会を目指して活動を行っています。
4年前に施行された「障害者差別解消条例」の制定に向けても動きました。
公開セミナーや映画の上映会なども行っているようです。
川﨑さんは「障害者が社会へ出ることや自立することは当たり前の権利なので、本当は理解させていく必要はないはずなのですが…。」とも話されました。

川﨑さんの経歴、考えの変化

現在、てくてくの代表を務めている川﨑さん。
どんな経緯でてくてくと出会い、障害者運動に携わるようになったのでしょうか。

病院で過ごした高校生時代

川﨑さんは、南九州病院に入院しながら加治木養護学校に通学していました。
病院での生活は行きたいときにトイレに行けず、ご飯の時間も決められたものでした。
「当時は、その生活の改善を訴える人たちをワガママだと思って見ていたんですよね。」
正直、いまの川﨑さんからは想像がつかない言葉に驚きました。
しかし、わたしも小・中学生時代は同じような環境で過ごしていました。
施設を出てから、あの生活はいかに自由がなく、規約に縛られていたものだったかを知ったのです。

てくてくとの出会い

そんななか、病院内でいつも付き人!?を連れている、てくてくのスタッフのことが気になっていたと言います。
病院内で開かれた講演を聴いて自立生活センターの存在を知り、自分も自立したいと考えるようになりました。
高校3年生のときは自立生活体験で3日間、介助者を入れながらの生活も体験されました。(初のピア・カウンセリングも、そのときに行ったそう。)

一般就職での体験

しかし、卒業後の進路は高齢者デイサービスの仕事でした。
そのときは1日に3時間しか介助者制度を利用できないなか、職場内の寮で生活していたと言います。
仕事や介助時間が足りない生活は身体的にきつく、「この仕事は自分じゃなくてもいいのではないか」と徐々に疑問を感じるようになり、退職して実家に戻る決意をしました。
退職をつげた際、上司からは「時間を短縮してでも働けないか」と言われましたが、そのときは「それは自分だけが特別扱いになるのではないか」と感じたそうです。
「いま考えると、それが合理的配慮なんですよねー」と話した川﨑さんから、当時のモヤモヤとした思いが伝わりました。

そして、てくてくへ!

実家に住みながら通いで、てくてく主催のILPを受けながら、自立生活の準備をしました。
約1年の準備期間を経て、自立生活をスタートさせました!
しかし、とにかく暇で「20代前半の1番いい年齢のときに、毎日散歩をしていたんですよ…」と話されました。
思わず「散歩、好きですよ。」と話しましたが、強い希望で始めた自立生活。
時間をもてあます状況は、不安と焦りでいっぱいだったことでしょう。
そしてとうとう半年後、スタッフからの声掛けもあり、てくてくで活動を始めました!
現在、ご自身の体験や自立生活運動についての講演の講師、相談員やピア・カウンセリングのリーダーとして働く傍ら、昨年8月より、てくてくの代表も務めていらっしゃいます。

なんと、川﨑さん。
国分から通勤しているため、通勤時間は往復3時間ほど
その通勤時間からも、てくてくと自立生活運動への思いが伺えます。

ちなみに、わたしもてくてく主催のピア・カウンセリングに参加したことがあり、そのときから川﨑さんのことを「りょーちん」と呼んでいます。

祭り好きで派手好きな、りょーちん。
ときには、サンシャイン川﨑となって活動もしています!
まさに空前絶後の熱き思い!イエーーーーーーイ!!!

障害者のあり方を変える、自立生活センターの役割

自立生活センターの大きな特色は障害者自身が運営し、障害者にサービスを提供することです。
サービスの必要性がある人が自分たちで訴えていくことで、サービスの受け手から担い手となり、どんなに重い障害があっても総合的なサービスを受けることができるのです。

障害者が自立して生活できる社会は、誰もが暮らしやすい社会です。
いま、障害者が自立して生活できている背景には、先駆者たちの運動あり
次回はこれまでと現在の障害者の歩みを、川﨑さんの思いとともにお届けします。

NPO法人 自立生活センターてくてく

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