クイズの答え、それは「3色(濃いピンク、薄いピンク、白。全てぼかし含まず。)」です。
画像として考えれば「当然」かもしれませんが、もし「透明なフィルムのようなものに半透明のピンクのラインが描かれていて、それと同じものがもう1枚、90度回転されて重なったことで重なった部分が濃く見え、かつその下にもう1枚白い台紙のようなものが存在するが、それはベースなので無意識のうちに色数から除外している」という発想をした場合、その人は「1色」と答えるかもしれません。
「布地」で発想しても「単純なギンガムチェックは1色」という考えになってしまいそうです。(我が母の考えはそれに近かった。)
つまり、「そこに確かに存在しているのに、当人にとって当然すぎて見えなくなる」それがこのクイズでは「白」です。
同じようなことで、とあるTV番組で「どういう理由で奥さんと結婚しましたか」という意味の質問をされた出演者の方たちの答えは、どちらも見た目に関するものではなかったのですが、「研究データ的には圧倒的に見た目」(妻を、というより男性が女性を、という広い意味かもしれませんが)と知らされると、「あっ、そりゃあそうです。」と言う出演者の方や、「『ある程度の見た目の基準をクリアした女性』ではある。」というような意味の発言をする方もいました。
やはり、「心の底から当然だと思っている」を超えて、意識もしない程のことは、項目に挙げたり数に入れたりしないものなのでしょう。
「本当はそこに存在している要素」なのに「固定観念に囚われてそれを認識できなくなること」は恐ろしいことに思えます。
それは「自身がどういう考えを持った人間」であるか見えなくなっている、ということと等しいのではないでしょうか。
余談ですが、今回の4コマには「しま模様の布を丸めて開くとしまの向きが変わっている」というあの手品(?)も組み込もうかと思いましたが、もともとの分と合わせるとオーバーするのでやめました。
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