福岡県京都郡小波瀬村(現・苅田町)に生まれた石田比呂志は、短歌誌「」を主催した歌人です。

少年時代から、筑豊炭田、村役場の臨時職員、キャバレー支配人など、40以上の職を転々としました。

青年時代に苦労した職業経験から生まれたこの歌には、綺麗ごとでは済まされない労働者の本音がにじみ出ています。

職に貴賤なし

職に貴賎なし」とはよく言われますが、それではなぜ私たちは仕事を選ぶのでしょう?

「この仕事をしたいから」という気持ちは素直で当然の感情です。
そして、さらにその裏には、その仕事とは性格の違うまた別の仕事に対して「できればこの仕事はやりたくない…」という消極的な本音も潜んでいるのではないでしょうか。

職業の好みは人それぞれにありますが、いつの時代も人気の高い職業というものはあります。

公務員、医師、弁護士などの士業、特殊技能の要求される専門職、大手企業への就職など。

そしてそれらの職に就くため、学生なら在学時代から就職活動における戦略を立てるのです。社会人なら現場の経験を積んで実績を残し、高い専門性を身に付けるなどして、より好条件での転職を伺うのです。

職業の序列

仕事の重要性に上下はありません。

かつて3Kと呼ばれた「きつい」「きたない」「きけん」な仕事も、成り手が1人もいなくなれば社会は円滑に回らなくなります。

本音を言えば「短時間で高収入をあげられる、効率の良い仕事に就ければいいなあ」と思う人が多数いるのではないでしょうか。

もし好きな分野があれば「好きなことを仕事にしたい」などと考えることでしょう。
そういった、条件のいい仕事に就きたいと思う感情は人間として普通のことです。

石田は、きれいな言葉で歌を飾ろうとせず、おそらくは多くの日本人の心の底でくすぶってきた本音を「嘘を言うな」という一言で、代弁してくれたのです。

石田比呂志の背景

石田の祖父は村長を務めた郡の有力者でしたが、行橋の干拓事業に財産をつぎ込み家は没落します。

石田自身も素行不良のため中学を退学処分となっています。

歌集の刊行される前年、東京で働く石田は自分の才能に絶望感をいだき、遠縁の親戚に金の無心をするなど、苦しみと迷いの多い流浪の人生の途上にいました。

短歌誌「牙」の主宰となってからは結婚と離婚を経て1986年、「手花火」で短歌研究賞を受賞します。

石田は2011年に80歳で亡くなり、晩年は歌人としてその名が知られるところとなりました。

表題の歌は石田が40歳を手前にして作ったもので、それまで多くの職を転々としてきた彼の、労働への思いがにじみ出ているかのようです。机上の理論にとどまらない、経験をもとにした彼の言葉には説得力があります。

国家総動員法により筑豊で炭鉱労働に従事させられた作者は、その後労働者として各地を転々とします。

無頼派の歌人「石田比呂志」が、もし現代に生きていたら、現代の労働環境をどのように毒づいてくれるでしょう。

via:Wikipedia