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約束を守ってるのはこっちなのに、なぜ時間に「うるさい」って言われるの?

仕事上の約束なら、絶対に破ってはならないのが時間の約束です。
出勤時刻、会議の開始時刻、顧客との打ち合わせ時刻などの約束を守ることは、誰もが異論はないと思います。

私は時間にうるさい人間です

プライベートの待ち合わせでも相手が遅れれば不満だし、なにより、自分が時間を守れないことにはもっと厳しくなり、自分を責めます

なので、約束を守っているのは自分の方なのに、時間という約束を破った相手から「時間に厳しすぎる」と非難されることもしばしばです。

世の中って、理不尽ですね。

鹿児島時間というものがあります

私は鹿児島に住んでいます。

人生の半分以上は鹿児島に住んでいる計算になります。
鹿児島であっても前述のように、仕事上の時間は当然ながら大切です。

しかし、個人的な待ち合わせなどは、鹿児島の人なら時間に遅れる前提で約束する場合が多くあります。

鹿児島市も最近は住人の多様化が進み、以前に比べていろいろな土地から人が集まっていますから、押しなべて時間を守る意識の薄い人ばかりではないのですが、自分の価値観から見るとまだルーズですね。

「鹿児島はそんなものだよ」と言われても、約束は約束。
守らないならはじめから約束すべきではないでしょう。

少数派の苦悩

このように、出身が鹿児島ではない私がひたすら鹿児島の時間感覚を非難しても、大衆の意見には敵わないことも分かっています。

地方の文化、地方の特性というものが、どの地方にもあります。
それは確かに存在し、「多数の」土地の人はそのような感覚を持っていることでしょう。

しかし、少なくとも一部の人たちは、その土地に住んでいるというだけの理由で自分の本音ではない性格や特性を強いられていることも感じるのです。

鹿児島に長く住んでいる私が鹿児島時間などにはまったく馴染めないように。

じゃあ、どうしろと?

多数決という方式をやめることです。
マイノリティーの意見も大切にしましょう。

多様な考え方の一つを、多数決で共通のルールにすることなく、さまざまな考え方を互いに確認し合い、その都度できる小さなコミュニティ共通のルールをあらかじめ決めておくのです。

それを逐一やります。

人にはそれぞれ生まれ故郷があり、いま住んでいる土地もいろいろあるけれど、それはどこかの国の何処かの地域の地面の上でたまたま自分が生まれたというだけのものです。

日本人です、九州人です、鹿児島県民です、というくくりは、役所の手続きのためだけにあればいいと思います。

それぞれの土地の特性を利便性に応じて利用し、自分にとって都合よく合理的に生きていけばいいのではないでしょうか。それは個人の自由であり誰も非難することはできません。

この考え方は自分は取り入れない、これは取り入れたいと、自分の都合で取捨選択すればいいのです。

では、鹿児島の特性で、自分が取り入れているものは何かというと

相手の気持になって考える
人を敬う
お年寄りや小さな子どもを大切にする
譲り合いの心を持つ

などです。

これらに共通する特徴は、「自分の心にゆとりを持つ」ことだと思います。
ですから、私も分かっています…

それらが、この土地が「時間」にも寛容な理由だろうと。
時間というルール違反を責めたりしないし、相手に寛容であると同時に自分に対しても優しくいられるのです。

これは現代の日本においては極めて貴重な考え方です。
なかなか手に入れられないものになってしまいました。

そこで、現在自分が採用している時間に対する自分なりの対処方法

「少なくとも自分自身は時間を守り、相手の時間の遅れは自分の心の中だけの不満にとどめる

ということです。
あまり解決になっていませんが…

とはいえ、私という個人も他人に迷惑をかけていることがたくさんあることでしょう。

こうして、不毛な時間が毎日少しずつ浪費されていくのです。

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