プロテニスプレーヤー、伊達公子が引退する。

WTA自己最高ランキングは1995年11月13日に記録した世界4位。

当時の同ランキング1位はシュテフィ・グラフ(ドイツ)、2位がコンチタ・マルティネス(スペイン)、3位はアランチャ・サンチェス・ビカリオ(スペイン)だった。

女子プロテニス界で、伊達はその小柄な体格で長身選手に真っ向から立ち向かい、勝利を収めていった。

身長163センチ。これは女子といえどもテニス競技において圧倒的不利を意味する。サーブ、ネットプレー、ベースラインでのラリー、すべてにおいて体格によるコートカバリング能力は落ちてしまう。身長の差+リーチの差となるからだ。

それでも伊達は強くなることを諦めなかった。

後に伊達が「ライジング・サン日の出)」と呼ばれる所以となった、テニス競技における彼女の最大の武器「ライジングショット」の習得に果敢に挑んだ。

彼女は決して諦めなかった。

ウィンブルドン準決勝、日没サスペンデッド

1996年7月4日、試合開始は遅れていた。

ウィンブルドンは毎年雨の多い大会だが、伊達公子とシュテフィ・グラフによるウィンブルドン準決勝は試合自体が翌日に延期されるだろうと大方が予想していた。

しかし、1つ前の試合が早く終わって、伊達の試合が現地の夜7時頃からセンターコートで行われることとなった。

日本に比べて緯度の高いロンドンとはいえ、夜7時から始まるテニスの試合が日没で順延になることは、考えれば試合前から想像できたことだと伊達は語っている。

第1セットをグラフは6-2で取ったが、続く第2セットは伊達が6-2で取り返した。途中、あたりは暗くなり、第3セットは翌日7月5日に持ち越された。

これが、あの試合から20年以上が経った今でも

あのまま続けていれば、伊達が勝った

と評される試合の概要である。

スタミナを武器とし、もともとスロースターターでもあった伊達にとって、体にエンジンが掛かり始めた途端の試合中断は残念な裁定であったに違いない。

しかし、ルール上これは始めから分かっていたことで、伊達もこの結果に不満をいだいていた訳ではない。

引退、そして復帰

翌日の第3セットのみ行われた事実上の1セットマッチは、グラフが6-3で取り試合に勝利し決勝へと駒を進めた。

前日の第2セット途中から、劣勢を意識していたグラフは、試合の中断をしきりに主審に提案していたと伊達は語っている。

伊達は豊富なスタミナを蓄え、グラフは動きを明らかに落としていた。

ポイントを急ぐグラフは一つひとつのプレーに焦りが見られ、精彩を欠いた。動きが無駄に早まって、プレーの質が落ちてきたことは一般のテレビ中継視聴者に目にも明らかだった。

伊達はこの試合に先んじて有明コロシアムで行われたフェドカップで3時間の死闘の末グラフに勝利を収めている。そういった事実もあって、当時の日本人テニスファンは、伊達のウィンブルドン決勝進出を誰もが本気で期待していた。

本当にあり得る話として期待できた。

敗北のあと、伊達は現役引退を表明した。まだ26歳だった。

伊達の世界ナンバーワンはこれからのように思えてならなかった。

そして引退の12年後、伊達は37歳で再びプロテニスプレーヤーとして復帰する。

その後のプレーも常に上を目指すテニスで、伊達はこのセカンドキャリアでさえ当時の日本女子テニス選手の中で最高ランクを叩き出してもいた。

引退試合

2017年9月12日、伊達はジャパン女子オープン・テニス選手権を最後の大会として引退する。

46歳での引退は、26歳で最初の引退を経て20年が経過してのものだ。

初戦の相手は、WTAランキング78位、セルビアのアレクサンドラ・クルニッチ。1回戦から格下として大会に臨む伊達というのも、世界4位の伊達を知る自分にとってとても新鮮に見える。

日本時間10時から行われる試合だから、日没サスペンデッドを気にする必要はない。
1回戦を戦って、負けて満足するような伊達ではない事も知っている。

可能な限り戦って、優勝を目指してほしい。

その結果どこまでいけるか、それは誰にも分からない。

No Titlewww.jta-tennis.or.jp

via:Japan Women’s Open(ジャパンウイメンズオープン)

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伊達公子 – Wikipediaja.wikipedia.org

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