なんとなく知っている、という人も多いでしょう。
「怒りを管理して生活を円滑に」ということを目指しているようですが、つまりそれは、「怒りについてしかどうにもできない」とも言えます。
そもそも、アンガーマネジメントが必要なのは「責任転嫁で怒るような人間」のはずですが、あなたの周囲のそのたぐいの人物は実践する気配すらないのではないでしょうか。
なので、「怒りの原因が正当なこと」をおもとして話すことにします。
なぜ、ひとは「怒(いか)る」のか?そして、「怒りさえおさめればそれでいい」のか。
怒りが発生するとき、そこには必ずと言っていいほど「不満」や「ストレス」が存在しています。
「不満やストレス」の原因であることが多々ある、「理不尽」や「不当な事象」に怒りを覚えたとして、そこで自身の怒りだけをおさめることができたとしても、それはどうでしょう。
解決していないので、「『理不尽』や『不当な事象』」は存在し続け、「不満やストレス」も残り、蓄積されていく、ということになるかもしれません。
そして、コップの水があふれるように、いつか耐えられなくなる…。
しかし、怒れば必ず解決するとは限りませんし、「世の中解決できる問題なんてほとんどない」というようなことを言う人間も居るでしょう。
問題が起きても「まあいいか」で済ませるべき、でしょうか?「まあいいか」と「もういいや」は限りなく同じではないでしょうか。
そして、本当に「愚痴をこぼせば気持ちはおさまる」のでしょうか。
確かに、一時的には効果があるかもしれませんが、上記の「『未解決』論」と結局は同じことでしょう。
「愚痴をこぼす」ということと近い「気持ちの共有」というものはどうでしょう。
「2人で共有すれば楽しいことは倍に悲しいことは半分に」。
おそらくそれは現実的に言えば「お互いがその要素を持ち寄ることができたとき」ならば成立するのでしょう。少なくとも「倍」に関しては。
上記の「共有」は、その気持ちを「持っている者」が「持っていない者」と実行しても、「前者は満足」「後者はつきあい」になりかねません。特にSNS。
「問題の根本的解決」以外で「決着をつけなければならない」とき、あなたはいったいどうしますか?