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コンてぃにゅ~㊸漫画と通貨

あなたが「一万円札」のことを「一万円として使える」と当然のごとく認識しているのはなぜでしょう。

「紙幣(お札)」は言ってしまえばただの紙です。黄金のように「物質として誰しもがその価値を認めているもの」ではないでしょう。

通貨が「通貨」として存在できるのは、「そこに額面通りの価値がある」という「共通認識」、そして一般によく言われる、そのお金に対する「信用」が確固たるものである時でしょう。

「紙」や「モニター上の数字」に「価値がある」と思えるのは、それらの情報のまとまりを記号のように認識しているからかもしれません。

「この形で、この色で、このがらが印刷されている等々の物体」は「みんなが一万円の価値があると思っている物」である。

「このサイトの、この欄の、このフォントの、等々、ここに記載されている数字」は「各人の残高を表している」ものである。

など。

もし、色が、または形が「通常の一万円札」と違うものを見せられたとすれば、それをあなたは「一万円の価値のある物」と認識するでしょうか。(偽札は違法ですが)

そして、同じ「モニター上の数字」でもサイトや欄が違えば自然と認識を切り替えて見ているはずです。

その感覚は漫画と似ているかもしれません。

漫画は言わば「記号の集合体」なのかもしれません。

例えば「白でも黒でも表すのが難しい色」などをモノクロ漫画で表現するときによく使用されるのが「(スクリーン)トーン」と呼ばれる主に「縦横に点が並んだもの(アナログではシート状でシールのようになっている)」ですが、なぜただの点々が「カゲ」に見えたり「空の青」に見えたりするのでしょう。

効果音の描き文字や、吹き出しの形、セリフのフォント、赤面を表す斜線や、怒りの血管マーク、焦った時の汗マーク、青ざめの縦線、など。

これらは言うなれば「型」のようなもので、やはり「記号」の要素が強いと思われます。

汗も血もないはずのロボットのキャラクターでもこれらの記号化されたような表現(赤面や青ざめ)が使用されていることがあるはずです。

「温泉マーク」と呼ばれる、誰もが知るあのマークも外国の人にはなんなのか認識できなかったりするそうです。同じように「セミの鳴き声」も映像の音声に入っていると外国の人には「ノイズ」だと思われてしまうとか。

「梅のすっぱさを知らない(食べたことがない)子供に梅を見せても唾液が多く出ることはない」という話を聞いたことがあるでしょうか。

「記号」や「条件反射」は世の中に溢れているし、それでもそのインプットがない人にはそれは通じない。漫画も通貨も、経験や環境が作用してあなたは認識しているのかもしれません。

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