人間には喜怒哀楽の感情があり、それぞれの感情に「沸点」があります。「あの人は怒りの沸点が低い」なんてフレーズがあるように、沸点はよく”怒り”に対して使用されることが多いものですが、他の喜・哀・楽にも同様に沸点があり、人によってその高低差は様々なのでしょう。
そしてその沸点は「疲れ」や「孤独感」「自己評価」など多くの事に共通しているように感じます。
そそげる水分量と手立て
例えば食事をした際に「やばいまじうまいー!やばいやばい」と大きな声で感情を表現する人がいるとします(笑)。同じ料理を口にしても「とても美味しいですね」の一言で終わる人もいます。
食の好みはそれぞれですが、一見前者のほうが感情が豊かで感動しているように思われがちです。実は後者のほうが何度もその店に通っているという可能性も。沸点が低いわけでも高いわけでもなく、一定の温度を維持し続けることが可能な人もいるものです。
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喜怒哀楽で言えば、ほどほどに喜び怒り哀しみ楽しむ(完璧かっ)。高温に達したときに何かしらで水をそそぐことのできる冷静さと経験を持ち合わせているのではないか。と、そんな人を見ると自分も大人にならなければと思ってしまうのです。
そんな人はいずれかの点が沸騰し続け蒸発しきってしまった過去があるのではないだろうか…と勝手に背景を想像してしまいます。
高保温・高保冷性の二重構造
同様に「仕事」に関しても疲弊度の違う人がもちろんいて、学びの場がある・この経験は将来こんなことに活かせると前向きに捉えることのできる人と、強要された・疲れた・もう無理と後ろ向きに捉える人がいて、そこには人生における「働いてお金を稼ぐこと」の重要性と位置に大きな差があり(もちろん経験も)さらに自己犠牲が強く責任転嫁しがちな人は「疲れ」に対する沸点がとても低いように思います。(※ブラック企業は除く)
いわゆる”メンタルが弱い”といった一言ではなく、ここには大きな経験の差があるように個人的に思うのです。あなたの高温は他の人にとっては冷水ですよ、と。それは過度な業務ではなく基本的な当たり前の誰もがこなしてきている業務なのですよ、と。(※ブラック企業は除く part2)
ただ、やはり大げさに被害者感を出す人もいるものです。できることなら沸騰してしまった点をあからさまに表に出すことは大人として避けたい。サーモスくらい優れた断熱性があれば表に出ずにすむのかもしれません。
怒り出すまでの感情の強さ。多様な「沸点」
怒りを感じる「沸点」。逆に喜びに対する「喜点」というものがあるとすれば、おそらくうまくバランスを保っていて、喜点が上がれば自動的に沸点が下がっていくものなのではないかと思います。怒り出すまでの感情の強弱には差があって、少しの出来事で沸点がピークに達する人もいれば、喜点が沸騰する人もいます。
アンガーマネジメント(怒りのコントロール法)という言葉があるように、それぞれの感情と上手く付き合うことのできる人はそうはいません。上手く付き合うように心がけてはいても、難しいものです。全ての感情と上手く付き合うことができ、悟ることができたらいいのですが、おそらく年齢を重ねるごとに自然に身につく点もあれば、温度が上がらなくなった点(怒ることがめんどくさくなった等)、ずーっと悩み続ける点もあるのかもしれません。
ただ、どの点が高くないといけない・低くないといけないというのではなく、喜点は低めに・沸点は高めに維持できるほうが何かと生きやすそうです。
ちなみにうどんやそうめんなどを茹でる時にふきこぼれがちな鍋ですが、火力が弱いとどうしても美味しくない料理もあります。吹きこぼれがちな鍋からは目が離せないものですが、吹きこぼれない裏技として、少しの油を入れてみたり、耐熱性のスポーンやフォークなどを入れておけば良いのだそうです。
それぞれの点に高低差があるように、おそらく吹きこぼれない裏技も多様にあるのかもしれません。自分はどの点に関してもまだ裏技を見つけ出せずにおります。
via:TEQLAB