障害を理由に進路の可能性が狭まってしまう。当事者の願いを蔑ろにする「障壁」は無くなることはないのだろうか?
障害を理由にした差別を禁じる「障害者差別解消法」が施行された今春、障害を持つ男子学生が、国立大学に進学した。
これは、「障害者差別解消法」が、良い機能を果たした結果だ。しかし記事はこう続く。
大学の支援を受け、医療工学の研究を志して学んでいるが、受験時に別の大学から入学に難色を示される経験をした。
本人は生まれた時の脳性まひにより体幹機能の障害がある男子学生。足が不自由で、支えなしで立つことが難しく、両手の杖で体を支え、歩くそうだ。
国立大側は昨年春、障害者差別解消法の施行に備え、障害のある学生の支援室を設置。入試前に試験時間の延長など男子学生への配慮を話し合った。入学後も専任教員が定期的に面談し、学内の段差の舗装や学食での配膳の補助などの支援を続けている。
「障害者差別解消法」が施行された中、このように対応が分かれるのは、法律がありながらも、現実には未だ障壁があるからではないかと思う。
男子学生が入学した大学の学部長は、
「誰でも入試に合格すれば、大学で勉強する権利がある。設備や実習にどんな配慮が必要か、相談しながら私たちも学びたい」
と話す。
「障害者差別解消法」により、社会における障害者への様々な意識が、浮き彫りになってきているが、それを乗り越えて、社会が当たり前に障害者への「合理的配慮」を示すことが出来るような時代を願う。
http://news.livedoor.com/article/detail/11718089/
via:Livedoor news