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ミスチル的で手に取った、藤原新也のメメント・モリ(死を思え)

「なんだこのミスチルっぽいタイトルは!」

ABC青山ブックセンターで見つけたその本は、作家・写真家でもある藤原新也さんが1983年に刊行、25年後に刷新された『メメント・モリ -memento mori-』だった。刊行当時、生と死を謳う現代の聖典として世間に衝撃を与えた一冊だったという。

私が手に取ったほうは、どうやらカバーデザインを一新し生まれ変わった「21世紀エディション」版だったようだ。

Memento mori(メメントモリ)っていったい

Mr.chirdrenの代表曲『花 -Memento-Mori-』。1996年に発売された当時、小学生ながらに副題の”メメントモリ”ってなんだ?と疑問に思っていた。後にメメントモリとは、ラテン語で「死を想え」という意味だということを知った。「自分が(いつか)必ず死ぬことを忘れるな」という意味の警句であるらしい。

他にも「死を記憶せよ」と訳されたり「carpe diem・今を楽しめ」・「食べ、飲め、そして陽気になろう。我々は明日死ぬから」といったアドバイスでもあるという。

枯れないように笑って咲く花になろう。と桜井さんが歌うように「死」のイメージとは程遠く、言葉の響きやジャケットのイメージに比べると案外楽天的な前向きな意味合いがあるんだな、と感じた。

ニンゲンは犬に食われるほど自由だ

「ちょっとそこのあんた、顔がないですよ」。

ページをめくり一番初めに目にしたこの言葉に、今現在ならば「いやいやありますよ?」と心の中でツッコミをしていそうな気がする。誰でも一度くらい人生においてガチで堕ちている時期というものが存在すると思うが、まさにこの本を見つけた当時はこの暗黒期に突入しようとしていた頃だった。まだ本屋に行けていたということはかなり元気だったのだと思う(笑)

著者の藤原新也さんは、とにかくいろいろな国を放浪している写真家だ。この本は自らが撮った写真に自らの言葉を組み合わせた74枚のオールカラー作品。大河のほとりで遺体の野焼きをしている光景もあれば、遺体を野良犬が食らっている光景、さらに母親に抱きかかえられた生まれたばかりの赤ん坊の写真もある。

「生死」と簡単には言うが、今私たちが生きる今世における「生死」がいかに安易であるかがうかがえる。この本に救われた…というわけではないのだが、数年に一度ふと読み返したくなる瞬間がある。

STAP細胞 小保方氏に見るメディアの海

論文執筆の天才とも言われ、小保方晴子さんをサポートしていた笹井氏が首をつった。記憶にも新しいSTAP細胞不正問題だが、藤原新也氏はこの一連の出来事とメディアとの関係性についてこのように述べていた。

STAP細胞問題の中心人物の一人が自殺したという単純な事実にとどまらず、その背後にあるメディアの流れに目を向けるべきだ

この笹井氏の自殺問題以前に、藤原新也さんは自身に仕事を依頼してくるメディアの人々に対し危機感と鬱屈を感じていたそうだ。メディアに滞留するストレスがこれから先どのような形で発散されていくのかと気にかけていた矢先、笹井氏が首を吊った。小保方氏を執拗に追いかけ回し、さも笹井氏と男女関係にあったかのような報道。すでに弱りきっているターゲットを獲物にするメディアのあり方を疑問視していた。メディアのターゲットは他にもあるのではないのか、と。

藤原氏の言葉を借りると、ますますこれからの海(世の中)は荒れる。荒れる海の中ではしっかりと動じないアンカー(錨)を海底の大地に「打つ」ことが遭難を免れる鉄則だと言う。荒れた海原でも流されない、そんな心を持ちたいものだ。

少し流されそうになった時、波にのまれてしまいそうな自分がいたらふと「メメントモリ」を思いだしてみるのもいいのかもしれない。

少し宗教要素の、メッセージ性の強すぎるといってもいいこの本。普段特に気にもとめない、どちらかというと苦手な方も多いかもしれない。だた、置かれている状況によってはやけに沁みる時期というのもある。

食べて飲んで陽気になれるのであれば、ぜひそうありたいものだ。日々忘れてしまいがちなメメントモリを、思い出す努力を続けたい。とりあえず今日は飲まれないように飲みに行く事にする。

via:Amazon

via:Shinya talk

via:Wikipedia

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