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感動ポルノにしたがる報道メディアから考える「安楽死」という選択

最近、今までになく障害者について考える機会が多いように思う。そんな中、パラリンピックで活躍するベルギーの選手女性車いす陸上選手がニュースに取り上げられていた。

彼女は、パラリンピック大会直後に安楽死するとの誤報を世界中に発信されたことから、異例の記者会見を開いたのだ。

彼女は、今大会直後に安楽死する――。事の発端は、数日前、そう伝えた欧州メディアの報道だ。その直後、人生最後の大会にかける彼女の姿を伝えようと、各国のメディアから取材の申し込みが殺到したことから会見で説明したかったという。集まった約40人の記者とカメラマンを前に、笑顔で語った。「リオ後に安楽死するという報道は間違いです」

日本でも最近、急上昇したワード「感動ポルノ」。その言葉は今、日本だけでなく世界中で物議を醸している。

確かにベルギーの選手が話したように「最後のパラリンピック」という言葉は、パラリンピックに興味の無い人にも目を引くし、そこに「安楽死」という言葉が付くと、一体何が?!と食い付いてしまう。

現に、その言葉が気になってページを開いてしまった自分がココにいる。

14歳の頃に発症。時には泣き叫びたいほどの痛さと戦い続けてきた彼女は、2008年に3人の医師の判断を経て合法的に安楽死をする書類を準備した。安楽死という選択肢があることを知ってもらいたい思いはあるが、すぐにでも死のうとしているという報道のされ方には抵抗感があった。

「私はまだメダリストして、生きることを楽しみたい。20年には観客として日本に行きたい」

進行性の障害の場合、生きていく上での不安は計り知れないものがある。例え今は良い状態でも、明日はどうなっているかは分からない。

そんな中での、彼女の「安楽死がある」という選択は、自分にはある意味 前向きにも思えた

自分だけの人生、最期を決めるのも自分。それが頭にあるだけでも、不安は薄らぐかもしれない。

ただ、この考えもニュースを読んだ一つの感想に過ぎない。

だからこそ、彼女の答えを他人が とやかく言う権利は無く、もちろん、ただ単に感動ストーリーとして語るのは違うのではないか。

困難を乗り越えて挑戦する選手らの姿を伝えることは、スポーツ報道の大切な要素だ。ただ、障害者スポーツでは、読者に伝わりやすく、記事に仕立てやすい障害の部分だけを、ことさら取り上げてしまう自分に気づくことがある。

4年後には、ここ日本でも開催されるパラリンピック。

「障害者として」ではなく、1人の「選手として」活躍する場を楽しみにしている。

http://rio.headlines.yahoo.co.jp/rio/hl?a=20160912-00000040-asahi-spo

via:Yahoo!Japan

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