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2024/12/10:フリーペーパーvol.105発刊!

うつ論(うつのHOW TO )-その6-

病でUターン その1

突然うつ病を発症した私の物語。
当時、どのような状況だったのか、どのように苦しんだのか、どうやって前に進んで行ったのか(現在も奮闘中ですが…)、どうにかこうにか日々を生き抜いてきた男の話をエッセイ風にして書いてみました。

どうぞご覧ください。

前回の記事はこちら

ストレイうつニート

大変なことになって参りました。この12月(2020年当時)が終わり、新年を迎えると同時に職場に馳せ参じなければ私は無職になってしまうのだ。

何も考えず布団にへばりついていた私もこれには流石に危機感を覚えた。新社会人一年目にして実働時間5か月ちょっとで職場を去るというのは、ただでさえ病欠で迷惑をかけている職場にさらに≪神経の図太い野郎≫だという悪印象の上乗せをしかねない。事によっては何かにつけてZ世代を糾弾したいルポライターに目を付けられ、[実録!令和の不良社員!ゆとり教育がもたらした負の遺産]みたいな見出しで記事にされ世の中の不満のはけ口にされる可能性もある。

半分、被害妄想じみてるとはいえ、そういったことを私は本気で恐れていた。

そして、懸念はもう一つ、無職になった後どこへ行けばよいか解らないという素朴かつ重大な問題があった。前(第2章)にもチラッと触れたが、当時私が住んでいたマンションは職場が契約・管理していた実質的な社宅であり、もし私が無職になれば当然マンションから引っ越さなければならないが、となると私は行く当てもない迷えるうつ病子羊となってしまう。

もしそうなら、私が身を寄せられるところは実家しかなくなるが...

No Way Go Home

しかしながら、僅か一年足らずで仕事を辞め、実家にUターンというのも中々勇気のいる話である。20年近く散々苦労をかけてやっと子育てから解放された両親に再び負担をかけるというのは非常に申し訳ない。もし実家に帰ったら、ただでさえうつ病のところをその申し訳なさ・いたたまれなさから、さらに鬱々(うつうつ)となり、それらがかけあわされて≪うつ^3病≫と病状が悪化しかねない。

それに加えて≪親元を離れ新天地で一山当てようと福岡まで進出させてもらったのに、結局何も成し遂げられないまま故郷にとんぼ返り、得たものと言えばうつ病のみ≫という現実を変えたい意地もあった。もしこれが人生ゲームで止まったマスだとしたら、そのゲームでは勝負を投げて別の成功ルートを開拓する人がほとんどだろう。だが、私にとってこれはゲームではなく直面している人生そのものである。なので逃げも隠れもできない。現状を打破するには自分が何らかのアクションを起こすしかないのだ。(図)

ここまで読んでくださった皆々様の中には「そんな無駄な心配を垂れ流して文字数を稼ぐな!この流れだとどうせ本当の自分やらを見つめ直して職場に復帰するみたいな陳腐なサクセスストーリーを展開するんだろ?!ばれてんだよ!!」と先を見越した感想を抱く方もいるかもしれない。

だが、そんなことは起こらなかったのである!私はその後職場に足を踏み入れる事は一度しかなかったのである!

仕事行きたく無し、命は惜しし

いろいろな懸念点や自身の現状を整理し、仕事を続けるのが得策であると頭では理解した私。だが仕事のことを考えると未だに体に震えが走り、足元がおぼつかない始末。こんな状態では職場復帰など夢のまた夢である。

一度抱いてしまった職場への恐怖心・不信感は根深く、私がうまく動けないのも根っこが私の体から伸び進み、布団に根付いてしまったからかもしれない。…などと言ってもどうにかなるわけでもなく、かといってそんな簡単に決断出来るわけでもなし。私の頭の中はぐるぐるぐるぐる、悩みの乱気流に突入してしまった。(図)

こんな時は不用意に動けば動くだけ体力を無為に消費してしまう。ここは自分以外の意見に耳を傾けて、一旦考えを整理するべきだ。そう考えた私は早速家族に電話をかけてみた。

家族からは『今現在(当時)、コロナが猛威を振るっている。今仕事を辞めたら求職活動もままならないかもしれない。所属できるうちは所属しておくべきだ』という実に理にかなった意見を頂戴した。

しかし、それだけでは私の心を奮い立たせるまでは行かなかった。そこで私のかかりつけの先生からも意見を頂くことにした。

『うーん、お仕事ね、辞めていいと思うよ』

次回へ続きます。
お楽しみに!

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