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[龍が如くの魅力]に迫る

Calligraphy “Dragon” in Kanji with ink and brush - New Year's Card Material

実は以前の記事でも密かにご紹介しておりましたが、2024年1月26日発売のシリーズ最新作[龍が如く8]が話題騒然で予想以上に最高傑作だったこともあり語り尽くせない湧き上がる想いのままに個人的な感傷全開で今回の記事は全面的に綴ろうかと思います。以降は主語的な文章となりますが、何卒ご理解ご寛容のほどよろしくお願い致します。

前回の記事→ゲームから教わる人間学

 

二人の主人公

龍が如くシリーズ当初からの主人公にして主軸である[桐生一馬]が登場するのはもちろん龍が如く7からは主人公の座を受け継いだキャラである[春日一番]も共に登場している。それが[龍が如く8]これまでのシリーズ集大成といえる作品で両主人公がタッグを組む。そしてこの作品はある重大な出来事により世代交代についての顛末に注目が集まっている。なぜそこまで話題になるかというと[桐生一馬という男の人生]がゲームを通して知られ、その人生を見届けたくなるような気持ちになる物語をファンが追体験してきたからだろう。

桐生一馬のテーマとしては[病魔]についてだ。あえて名称は省くが例の流行り病で我々も苦しめられた記憶は新しいのではないだろうか。そして、桐生一馬は我々の代弁者となってくれるのではないかと期待しつつも悲しい結末にならないようにと祈念も込めているのだと思う。お察しかと思うが、龍が如くを愛するユーザーは本作をただのゲームではなく媒体を通して体感してきた一代叙事詩とみなしている。なので並々ならぬ感情を預けてきた作品であるので、一般の人から見たら異様にもみえる。

そしてその感情を喜怒哀楽すべて継承してくれる新たな主人公が春日一番というわけだ。これまでの修羅場でボロボロになった桐生一馬に春日一番が肩を貸しながら歩んでいく。この二人の男は確実に、我々に大事なことを教えてくれる予感しかしないオーラがある。その凄みを感じさせてくれるゲームであり、人生とはなにかについての教材になるだろう。二人の男に引き寄せられた仲間たちとの絆も人間とはなにかについてきっと教えてくれる。

将来における社会のテーマ

[ホワイト化社会]というワードをご存知だろうか?龍が如く7が出た2019年に、そのワードに当てはまる社会テーマがゲーム内で示唆・表現されている。ではホワイト化社会とはなにか?細かく説明すると複雑なのでシンプルに言えば[非接触的な合理化]と表現したい。そんなホワイト社会を実現するうえで機械やAIの導入が盛んになっていくのは自明の理だ。龍が如くにはそういった風刺も含まれ古き良きモノが淘汰されている理由も教えてくれる。

私のような社会的マイノリティが存在意義を保つのに必要なのは当然ながら[生きる意味]であり、その根底は誰もがそうであるが、実際はあまりにも重さやバランスが違いすぎるのも事実。本作はヤクザ、ホームレス、孤児と様々な社会的マイノリティを赤裸々に登場させている。春日一番はドン底という状況から這い上がっていきながら生きる意味を表現してくれる。ホワイト化社会になることが果たして人間として幸せだろうか?という疑念も投げかける。

ジャパニーズヤクザinハワイ

「アロハ〜」今作の舞台はハワイ!ハワイといえば世界屈指の魅惑的な観光スポット。龍が如くシリーズの凄さは再現度の精密さなのだが、その証明はハワイでも体感できる。ハワイといえば常夏の青空と綺麗な海そして陽気な雰囲気!まさに地上の楽園そのもの。しかしその楽園にも陰謀が渦巻いており、日本人である春日一番がその解明に向かうのだ。そして海外ならではの危険に巻き込まれていき春日一番は絶体絶命のピンチに陥っていく。

そのピンチを救うことになるのが…龍が如くシリーズのメイン主人公の桐生一馬であった。極道界において春日一番が平社員だとしたら、桐生一馬は会長ほどの身分差があるのだが…その両名がひょんなことから行動を共にしていき、やがて[仲間になる過程]を描いている。そもそもヤクザという存在自体は社会的に排除されるべき勢力であるのは明白なのだが、果たしてヤクザが今後どうなっていくのか?何故ハワイに居るのか?よければご照覧あれ。

ゲームとリアルの人間関係

龍が如くシリーズは実在の俳優をゲームキャラとして導入したり飲食店企業のタイアップなど現実(リアル)にリンクしたゲーム制作をしていることで世界的にも有名な手法である。そして今作に抜擢された人物で[King Gnuの井口理]を起用したのが大注目されている。モブキャラではなく春日一番たちと共に行動し戦ってくれるメインキャラの仲間としてだ。前作から引き続きの面々もいるが、なんと国民的マスコットである[ガチャピンとムック]も今作に参加してくれている。

どれだけの制作費がかかっているのか?など諸々と気になるところだが最も特筆すべき点は参加している俳優やスタッフがとても和気藹々としておりそれでいて真剣そのものなのだ。ギャラが良いからというものではなく、今作に携わって楽しんだ連帯感・一体感が伺える。むしろ充実感、満足感すら伝わってくる。ユーザーもそれを感じとった心持ちで挑めるのだ。龍が如くシリーズの人間関係の良さについて是非、興味があればご自身で調べてみてほしい。

オマージュ?パロディ?パ○リ?笑

龍が如くシリーズを重ねるごとに良い意味で度が過ぎていくのが圧倒的な既視感について。まず今作の前面にでてくるのがスジモンというポ○モンに酷似したものがある笑。あとはガチャピンとムックが今作で住処にしているというドンドコ島はど○ぶつの森のシステムほぼそのままなのだが、それをオトナ向けにしつつ笑いネタにしつつを織り交ぜた本格的な仕様なのだ。その他にもドラ○ェやアニメや映画の有名なシーンなど、いつ怒られてもおかしくない地雷だらけなのだが不思議なことにこのシリーズではクレームが起きないという奇跡がある。

その要素がユーザーにとって最大の楽しみであり風物詩でもあることが愛される理由なのだろう。恐らく一番インスパイアされてるであろうNINTEND○からは暗黙の了解であるのは確実だ。ちなみに特にインスパイアされているドラ○エ関係者がエンドロールに流れているのでそれなりに了承は得ている様子だ。ただそのことをあまりにも前面的にビジネスライクとして押し出すとサプライズにならないとして、各社ともにユーザーへの粋な計らいを感じる。

龍が如くシリーズは約20年なぜ愛されてきたのか?

龍が如くは[反社会的勢力のドラマ]をテーマとしているため非常に扱いにくい題材だ。最初の作品が出たのは2005年なのだが立案は2003年と約2年間で波乱の道のりだった様だ。当時も反社会的な勢力に対して否定的なのでこの作品に対して審査員は当然ながら猛反対だった。しかしギリギリのコンプライアンス配慮やSEGAの情熱などに押されて、なんとか発売した。当初はダメもとであったし早々にワゴンセール行きとみなされて冷ややかな見方だった。

しかし発売してみると一転、プレイしてみたユーザーから徐々にその熱が帯びてきたのだ。なぜそういう現象が起きたのか?それは[洗練されたシナリオ]にまず魅了されたからだ。その次はミニゲームと称しているが圧倒的にやり込み甲斐がある[サービス精神]だろう。いうなれば日本特有の[おもてなしの魂]がゲームに込められていることに気づいたのだ。そしてその魂はブレず現在では世界中に愛される作品にまで成り上がった珠玉のゲームだ。

無論、人を選ぶゲームであることに変わりはないし人によっては嫌悪される内容でもある。しかしそういった人でも不思議と心変わりするという現象が起きているのも事実である。あくまで持論だが[時代に寄り添っている]からだと感じる。なんというか、このゲームは先々に起こることや現在起きていることのやるせなさなど代弁してくれている場面が多い。なので時代が変わっても普遍性のある哲学を散りばめていることにより、約20年をかけて日本だけにとどまらず世界からも愛されてきた秘訣なのだろうと思い馳せる。

[参考までに]You TubeのSEGA公式トレイラーはこちらをどうぞ

人生はRPG

ゲームの宣伝のようになるだけなのもアレなので…自分らしくいつものように個人的かつ散文的な感想で締めたい。
自分は今の世の中にとても不満を抱いている。以前なら、人に一笑されてきたものだったがいよいよ表面化されて皆も思うところがあるだろう。ただ皆その不満の捌け口をやはり弱者に向けている。社会的弱者がより弱者を虐げるという悪循環により、支配してる側は見世物のように笑いがとまらないだろうと思うと余計に憤る。龍が如くはそういう不条理をすべて表現してくれていて説得力がありすぎるのだ。下手なセミナー講師より納得できると思っている。

今作の龍が如く8が、恐らく最も伝えたいコンセプトは[仲間]だ。年齢、国籍、立場、裏切り、許し、そのすべてを凝縮したやりとりが私たちに[生きることの素晴らしさ]を教えてくれるだろう。恥ずかしながら自分には仲間どころか友達と自信をもって呼べるのか怪しい。家族はいるが、反面教師的に我が子は日に日に盛り盛りと仲間や友達を作っていくのをただただ見守るのが楽しみになっている。まるで春日一番のようなキャラクター性の我が子から[人生のRPG感]を見出していることに気づいてしまったらしい。

枯れゆく老人が手本になるよう躍起になるより、咲きゆく次世代に託すことが自然の摂理のようにも感じたのだ。

ゲームに限ったことではないが人生に気づきを与えてくれるものがあることはとても
幸せなことなのだろうなと感慨深い想いもあり本記事がそのキッカケになれば幸いだ。

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