『ノルウェイの森』
エッセイ
友人に1人、美しい顔を持つ男がいた。大学生になって間もないころ、その男と2人で行動していた私は、周囲の女の子達から「美形の隣の人」という、漠然としている割に的確すぎる呼び方をされていた。
その男は顔が美しいだけでなくとても陽気で話が面白く、いつも皆を笑わせていた。男の周りには自然と人が集まり、男といつも一緒にいる私もだんだん女の子たちと打ち解けることができた。呼び方も「(彼の隣にいる)くまさん」に変わった。彼には感謝している。
謎の隠しごと
しかし1つだけ、彼にはどうしても困ったクセがあった。私にだけ謎のかくしごとをするのだ。
小説『ノルウェイの森』の永沢さんと主人公の関係みたく、かっこいい男の隣に常にいると、普通の人間も魅力的に見えることがあるらしい。私は45%増しに映り、ほんのちょっぴり密かにモテかけていたらしいのだ。
でも男は何故かその事実を私に隠した。当然、恋愛偏差値4の私は、自分がほんのちょっぴり密かにモテかけている事実に気づかない。それはそうだ。私は美しい男の隣にただ突っ立っているだけなのだから。
美しい顔が言う「〇〇ちゃんが昔くまさんのこと好きだったみたいなんだけど、もうよくなったってさ」。あるいは「△△ちゃん4ヶ月前までくまさんに気があったらしいよ、もう恋人できたけどね」と。
私は思った。なぜリアルタイムで教えてくれない。なんだか私が振られたみたいになってやしないか。
【女の子→♡→私】がどこかで【女の子→?→私】に変わり、遂には【女の子→興味なし→私】となる。
恐ろしいのは、ベクトルが常に一方通行ということだ。そこに私からのベクトルがないから挽回の余地がない。気づいたときにはもう遅い。もしリアルタイムで聞いていたら【女の子→♡←私】だったかもしれないのに。
なぜだ、なぜ勝手にフラれた後にそれを教える。クセがひどい。
ーー先日、数年ぶりに美しい男と会った。
滔々と語る彼に相づちをうちながら、頭の中はあの疑問でいっぱいだ。だがどうしても聞けない。問い詰めるには、男の目はあまりに澄んでいる。
夢を熱く語る男の話を遮って、「どうしてあの時言ってくれなかったのよ!」と10年も前の事を聞くなんて、本当にモテない奴みたいじゃないか。
このエッセイで紹介した本
『ノルウェイの森』村上春樹/著 2010年映画化。