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自閉症の息子さんの父である、大江健三郎さんの描く共生社会の世界

巨星墜つ、文豪大江健三郎さん

2023年、巨星墜つ、と云うべき偉大な文学者が亡くなった。戦後文学において数々の金字塔を打ち立てた大江健三郎さんが88歳で、3月3日にこの世を去ったのだ。大江健三郎さんは東京大学在学中に『奇妙な仕事』で文壇にデビューし、23歳の若さで『飼育』が芥川賞を受賞する。後に障害のある息子さんである光さんが誕生すると、障害と共生をテーマにした『個人的な体験』などの秀作を次々と発表し、1994年、日本人で二人目になるノーベル文学賞を受賞する。

病棟で出会った大江健三郎さんの作品

私が大江健三郎さんの作品を知ったのは、高校の参考書だった。現代文の問題を解いていると芥川賞受賞作の『飼育』が引用されていたので、その少年期特有の衝動性を克明に描いた文体に惹かれ、入院中に大江健三郎さんの作品を読み耽った。
ちょうど、10代だった私は発達障害=少年犯罪と言った偏見で悩み、解離性障害・複雑性PTSDを発症していたので、同じ自閉症スペクトラム障害がある光さんのお父さんである大江健三郎さんの作品に何度も救われた。まだ10代だった私は今ほど読解力もなかったので読み進めるのは大変だったが、これぞ、文学というべき難解な文体や切れのある表現に心惹かれた。

平和への祈り、核兵器廃絶の運動 自閉症の息子さんとともに

大江健三郎さんは作家活動を邁進しながら時には世界に対して、積極的に平和運動を行った。特に大江健三郎さんの作品は韓国や中国でも高く評価され、大江健三郎さんの訃報に韓国や中国のメディアは哀悼の意を届けた。大江健三郎さんは核兵器廃絶の願いを訴えた『ヒロシマノート』がベストセラー作品になり、その平和の祈りは大きな影響力を持った。大江健三郎さんの作品には根底には、幼少期に受けた戦争の傷が大きなテーマになっている。
私が好きな作品の一つである『芽むしり仔撃ち』は、太平洋戦争末期の感化院の少年たちの抗争が主題になっている。『僕』という一人称が語る原稿用紙300枚の長編は大江健三郎さんが23歳の時の傑作だ。その若さゆえの衝動性は、令和の今の時代であっても普遍性はとてもあると思う。

敷居は高いかもしれないが

大江健三郎さんの作品は哲学者のサルトルの文体に大きな影響を受け、難解で敷居が高いというイメージを持たれる方も多いかもしれない。確かにその文体は文学的で最初のうちは読むのに四苦八苦するかもしれない。その怜悧な文体からは想像がつかないほど、弱者への優しさや憐れみも内実されているのは確かだ。しかも、文壇の重鎮であり、戦後文学においての巨匠であった大江健三郎さんは、障害者福祉という観点からも大きな影響力があった知の巨人であった。息子さんの光さんとの日々をつづった『「自分の木」の下で』は比較的読みやすく、障害のある子供を持つ父としての優しい目線も繊細につづられているので、この機会に大江健三郎さんの作品を手に取るのもいかがではないか。

 

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