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2024/12/10:フリーペーパーvol.105発刊!

イギー&ザ・ストゥージズ「RAW POWER」から50年・究極のロックンロールを再聴する

序文ー全く未体験のエネルギーを受け取った瞬間

2023年からちょうど50年前=1973年。この年発表された音楽界の名作と言えば、ピンク・フロイド「狂気」、ルー・リード「ベルリン」、あるいはザ・フー「四重人格」といったものが特に有名でしょう。
ここに挙げたどの作品も、人間の精神的な暗い部分、社会的なタブーの領域を音楽によって捉え、芸術の境地まで突き詰めたマスターピースばかり。そういった1973年ならではの冒険的な作品の中で私が最も記憶に残っているのが、「RAW POWER(ロー・パワー)」と題されたイギー・ポップ&ザ・ストゥージズのアルバムです。
私が「RAW POWER」を初めて聴いたのは10代の中頃辺りのこと。当時読み耽っていた音楽雑誌の評論で、私が特に好きなライターの方が絶賛していたのを見つけたことから手に入れて聴いたそのアルバムは、まさに驚きの連続でした。
とにかく激しく響くギターの熱、そしてイギー・ポップのどこまでも自由奔放な叫びは、私がそれまで感じたことのないようなエネルギーそのもの。一体、この音楽は何なんだ!と感じざるを得ない、まさに驚愕の体験だったのです。そこから私はイギー・ポップ、そしてザ・ストゥージズという絶対的存在の魅力へ、グッとのめり込んでいきました。

イギー・ポップ、ストゥージズとは何者?

イギー・ポップ(Iggy Pop、本名はジェームズ・ニューエル・オスターバーグ・ジュニア James Newell Osterberg Jr.)。彼はアメリカ出身、1947年4月21日生まれのミュージシャンです。
初め彼はブルース系のミュージシャンとして活動していこうと考えていましたが、高名なブルース・ミュージシャンたちと若くして共演する中、「白人の自分に本当のブルースを演奏することは無理だ」と痛感し1968年頃にバンド、ザ・ストゥージズの母体を結成。新たな表現へと舵を切ります。

同時代のこれも重要なロックバンドであるドアーズのジム・モリソンからの触発も合わさり、イギーのステージパフォーマンスは激動の1960年代の中、異質な存在感と破天荒さを増していきます(例えば当時は全身にピーナッツバターを塗るパフォーマンスなどがありました)。その激しい生き様から、彼はパンクのゴッドファーザーとも称されています。
しかし目を惹く破天荒さだけでなく、音楽的にも位相が崩れようとお構いなしの真剣勝負・緊張感たっぷりに鳴り響くストゥージズのサウンドは誌面でも高く評価され、数知れないほどたくさんの新しい世代へ影響とエネルギーを与えました。
近年の2017年にはフランス芸術文化勲章の最高位である「コマンドゥール」が送られたり、2020年にはイギーへグラミー賞 特別功労賞 生涯業績賞が送られたりと、その評価、そしてその存在の強力さは今に至るまで絶対的です。

「RAW POWER」とはどんなアルバム?

ここからは「RAW POWER」というアルバムそのものについて、制作背景も含め見つめていきたいと思います。

「RAW POWER」が作られる前、ストゥージズはまさしく混乱の最中に居ました。イギーを初め各メンバーの患った薬物依存症によっての度重なるアクシデントから1971年にストゥージズは一度解散。同年、イギーは同時代の重要なアーティストであるデヴィッド・ボウイと出会います。ボウイの手助けのもと、イギーは新たなメンバーを探し始めますが、その足取りは難航します。最終的にかつてストゥージズのメンバーであったロン・アシュトン、スコット・アシュトンのアシュトン兄弟が呼び寄せられ、ここにストゥージズというバンドが復活したのです。

そこからのレコーディングにおいても混乱が起こります。アルバムは当初ボウイがプロデュースすることが予定されていましたが、イギーはこれを断ります。しかしレコーディングされたデータは丁寧な分離録音などがなされずミックス作業の行いづらい状態にあり、結果ボウイがワールドツアーの最中にミックスを仕切り直し、どうにか「RAW POWER」は完成します。

ボウイが手がけたバージョンはボーカルのリバーブが潤沢だったり、ギターの音などもある程度ブライトさが保たれていたりと、まさにグラム・ロック的な鮮やかさを推したもので、こちらのバージョンを推すファンも多数です。
しかし私がここで特筆したいのは、その後1997年、このボウイによるミックスがイギー自身によって再度やり直されたこと、そしてその内容のインパクトなのです。

前述の通り10代の頃、私が手に取った「RAW POWER」に入っていたのは当初のミックスでなくイギーのリミックス版でした。一曲目「Search And Destroy」を再生した瞬間、ギャリギャリと鉄を鳴らすようなエレキの波、そしてまるでライブの真っ最中であるかのように奔放に、獰猛に叫ぶイギーの存在。1973年の録音と思えないほどに生々しい毛羽立ちを持って響く、化け物そのものの、全てがひび割れる寸前のロック・ミュージックがそこにあったのです。
とりわけ三曲目「Your Pretty Face Is Going to Hell」は凄まじいもので、全曲の中でも一際シャープに鳴り響くギターのひび割れ、一切の含みやニュアンスを削いだシンプルなビートの快感、そしてやっぱり何よりイギーのタフでやさぐれた声の力が凄まじい!10代の私にロックンロールの魔力を伝え切るには充分過ぎる一曲だったのです。

「RAW POWER」が、なぜ私にこれほど響くのか

この「RAW POWER」の何が私にとって共鳴できたのかと言いますと、それは「退廃的」という一言で表すことができるように思います。
退廃的、という言葉は道徳性が崩壊していること、不健全であること、という意味を持っていますが、まさにこのアルバムは最高のロックンロール集でありながら、精神的な退廃をはっきりと映し出しているように私は受け取ります。
どれだけ叫び、どれだけヒートアップしてもどこか振り切れず付きまとう疲労感・虚無感・やるせなさ。私がこの「RAW POWER」に何より共鳴したのは、このやるせなさそのものでした。全てが英詞ですので歌われている内容は10代の私では分かりませんでしたが、激しさの塊のようなこのアルバムに漂う、とても退廃的なやるせなさの存在が私には見えたのです。
今振り返ってみるに、10代の私が常に感じていたのもまた、「RAW POWER」に流れ込んでいるような得体の知れない疲れや虚しさでした。学校生活に適することもできず、他者とのコミュニケーション不全の只中に居た私にとって、やるせない、というこの感情はとても強いものでした。そんな私には「RAW POWER」が狂気的な作品でありながら、大きな福音に聴こえたのです。

この「RAW POWER」を経て、イギー、そしてストゥージズ自体もまたさらなる混沌の中へ崩れていきます。うまく行かないレコーディングの果てに事務所とストゥージズの意向は相違し、1973年内にストゥージズは事務所から解雇の措置を受けます。
その後、それでも見捨てなかった関係者や新たなマネージャーたちのサポートにより、「RAW POWER」のプロモーション・ツアーが開催されますが、そこからさらに自傷的になっていくイギーのパフォーマンス、歪なツアーの運営、さらにはツアー中に暴走族たちと暴力沙汰を起こしての混乱…..このような事態によってストゥージズは疲弊し、ついに再び解散、という状況へ至ります。

しかしそこでイギーの人生は終わらず、薬物依存を根底から治癒するべく自ら治療施設へと向かいます。並行してイギーは新たな音楽を作り出そうと再びデヴィッド・ボウイをはじめとした様々なミュージシャンと関わり始め、新たな道を模索していくのです。混沌の中においても立ち止まらなかったイギーは、今や前述の通りグラミー賞受賞を初めとした揺るぎない評価、そして何よりミュージシャンとしての力強い存在感を以って生きているのです。この事実に私は、自分という人間の業に苦しめられている段階から、その業を引き受けて人生を良き方向へ仕上げていく、ということの大切さを今一度垣間見る思いです。

2023年、デジタル・リリースという形で「RAW POWER」の50周年記念の再発表が行われました。内容はデヴィッド・ボウイが行った当初のミックス・バージョン、イギーが仕切り直したあの衝撃のミックス・バージョン二つのリマスタリング版、1973年当時のライブの模様にアルバムに収録されなかったアウトテイクの数々が収録されています。
私もこの再発版を聴き、この「RAW POWER」というアルバムの異形さが現代においても相変わらずのインパクトを響かせていることを確認しました。
イギー・ポップ、そしてストゥージズの全てを曝け出すような歩みは決して「功績」「名誉」と呼びたくなるような綺麗なものではありませんが、率直に言って、ここにあるロックンロールの数々はありきたりな輝かしさよりもタメになるものが充分にある。と、私は痛感する次第です。

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