『しにたい気持ちが消えるまで』に込められた思い
NHKのハートネットTVでコメンテーターとしても活動される、豆塚エリさんが2022年に手記を出版。ネットを中心に話題になっている。
豆塚エリさんは在日韓国人のハーフであるため、幼少期からの生きづらさや母との葛藤や偏見などで、16歳のときに飛び降り自殺を図り、頸髄損傷で中途障害者になる。
その壮絶な人生を振り返った手記には切実で、明日を生きようという意志が込められている。
文学フリマやポエイチで来訪した者として。
実は私自身、豆塚エリさんとはお会いしたことがある。
それは今から8年前にポエイチという、福岡で行われた文学同人誌のイベントのことだった。まだハートネットTVにも出演していなかった駆け出しの豆塚エリさんと出会った私自身も、19歳で度重なる入退院のトラウマの後遺症できつかった頃だった。
豆塚エリさんがこんぺき出版という小さな出版社を営みながら同人誌活動をしている、と知って、読者として参加したポエイチや文学フリマなどアマチュア作家の同人誌活動にさらに興味を持ったきっかけになった。
noteで「しにたい気持ちが消えるまで」の序章にあたるエッセイをひとつ無料公開してみました。16歳、高校2年生のとき、死のうとして実際にアパートのベランダから飛び降りた体験を書いたものです。
しにたい気持ちが消えるまで―序章―ベランダ|豆塚エリ(まめん) #note https://t.co/hXlZ9So10m
— 豆塚エリ しにたい気持ちが消えるまで好評発売中 (@mamen325) October 31, 2022
希死念慮に名前を付ければ 高校も自主退学して
あの頃の私も(今もそうかもしれないが)死にたい気持ち、つまり、希死念慮に常に見舞われ、いつ死んでもおかしくないような状況だった。希死念慮は厄介で、日常の中にぴったりと重なり合い、逃れられない烙印のように追いかけてくるものだ。
希死念慮が止まらなくて、どうしようもない、という方には豆塚エリさんの一度、生死をさ迷った当事者としての言葉はかなり強く、刺さると思う。
豆塚エリさんは在日韓国人の母と葛藤し、大分県の田舎町での閉塞感に苛まれ、どうしようもない希死念慮に囚われていた。高校は進学校に進学できたものの、幼いころから積もっていた希死念慮は日を追うつれ、加速し、16歳のとき、死ななければいけない、と思い立ち、3階のベランダから飛び降りてしまう。
ああ、やっと死ねると思った矢先、待っていたのは頸髄損傷という取り返しのつかない後遺症と、学校側の無理解だった。
飛び降りてから生死を さまよった、豆塚エリさんは、高校側がバリアフリーに対応できないといった理由で、高校を自主退学している。余談にはなるが、私自身も成績は悪くなかったのに高校を転校させられ、転校先の学校で高校を退学させられた体験を持つ当事者として、共感しっぱなしだった。
文芸部の縁と絆
しかし、豆塚エリさんは高校在学中に文芸部の絆に恵まれ、高校文芸コンクールでの入賞を始め、詩作に没頭することに目覚め、それは自暴自棄で死にたくなり、頸髄損傷になりながらも入院先の病棟でも、書くことで救われた、と振り返る。
私自身と豆塚エリさんの境遇は似ているところも多く、だからこそ、他人事じゃない言葉の力に惹かれてしまう私がいる。同じように私もまた、『書くこと』で生きがいを求め、救われ、今でも書き続ける者として大いに納得し、当事者ならではの説得力に叫喚しっぱなしだった。こうして、ライターとして少なからず、社会に貢献できた喜びと運命の巡り合わせに感謝しながら、豆塚エリさんを陰ながら応援したい。
こんぺき出版を営んで
高校を自主退学し、高卒認定に合格した豆塚エリさんはその後、大分県の湯布院で『こんぺき出版』という小さな出版社を営みながら、詩作や小説の執筆に専念するようになる。一度、太宰治賞に最終候補になりながらも、華々しく文壇へデビューはできなかったけれども、権威よりも誰かに届けたい言葉を届けるためにこれからも、手製の本を作りながら活動をしたい、と最後に記されている。
豆塚エリさんはハートネットTVなどのメディア出演も果たし、福祉業界雑誌を中心にコラムなども執筆している。
これからも、豆塚エリさんの多彩な活動に拍手を送りたい。