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2024/12/10:フリーペーパーvol.105発刊!

東京という街、遅れて訪れた青春を過ごした街

僕にとって青春でした

僕は18歳から25歳までの6年半、東京で暮らしてました。音楽で生きていく、そんな夢を追いかけていました。

高校生の時にうつ病になり、とてもじゃないけど青春時代なんて送れませんでした。鹿児島から東京へ上京しました。生活は苦しかったです。バイトも面接で何件も落とされ、食事もろくに食べられない時期もありました。なんとかバイトをすることが出来ても、理不尽なことで、嫌になることもしばしばありました。そうですね、嫌なことと良いことが、8:2くらいでしょうか、東京に居て感じることが。

でも思い返すのは、良い思い出ばかり。東京で僕の人間としての地盤は育まれたんだと思います。まさしく僕の青春時代でした。

出来ればずっと居たかった

うつ病のダメージはずっと残っていました。息苦しさを常に感じていました。それでも信頼できる友人をはじめ、優しい人々に出会い、少しずつ人生にリラックス出来ていました。

当時、小説とレコードが好きでよく探しに東京中を練り歩きました。本当に楽しかったです。僕の人生で一番晴れやかな時期でした。お金は無かったけれど、心は満ち足りていました。

冬は雪が綺麗で、春は桜が綺麗で。夏祭りも楽しかった、紅葉も美しかった。出来ればずっと居たかった。

帰らざるを得なかった

25歳で統合失調症の発症。鹿児島に帰ることになります。あんな精神状態で東京を後にしたくなかったです。鹿児島の精神病院に入院して、閉鎖病棟にいました。眠ると見る夢は東京のことばかり。起きて現実を確認して、絶望していました。本当に悲しかったです。

何のために東京に居たんだろう?

僕には夢があって、バイトで働くために東京に居たんじゃありません。うつ病の次は統合失調症。あまりにも酷い。神も仏もありませんでした。病気になった自分を呪いました。一体何のために東京に居たのか、そんな自問自答を繰り返して生きていました。
その後、何年経っても、東京への想いは捨てきれませんでした。朝のテレビ番組で東京の画像が出るたびに心が苦しくなり、僕は本当にここに居たのだろうか、と東京までの距離がどんどん遠くなっていきました。

精神病になったけれど

鹿児島に帰って、出会う人々の中に、「昔、東京に居ました。」って方は結構多いです。僕と同じように具合を悪くして、帰ってきた人や、仕事の関係で、東京に居た人。そういう人と東京の話をすると、やはり嬉しいものです。

精神病になったけれど東京の事が嫌になった事はありません。いつまでも心の中にあります。苦しくなる時もあります。なんで自分は東京にいないんだ、やり残したことばかりなのに、と思ったりもします。でも大体、東京に居た事は、自分の糧になってると、前向きに思えます。ようやく、東京にいない自分を肯定することが出来てきたようです。

東京

東京に住んでいて、僕は正直、派手な遊びはしませんでした。質素な生活だったと思います。仕事の関係上、色々な所に行きました。電車でどこへでも行けます。

肉体労働をしていたので、昼食が楽しみでした。美味しい料理どころが多いですね。

東京はビルばかりなので、自然がより引き立ち、自然に敏感になります。

人はとても多いです。冷たいというか、無感覚な人もいます。でもほとんどが地方出身者。話せば良い人は多いです。

古着屋が面白いです。レコードも掘り出し物を見つけることもあります。街が本屋だらけの所もあります。興味深い街です、本当に。

遊びに行くと面白いと思いますよ。

東京への想い

この文章を書けた事で、内包していた東京の想いを発信出来たと思います。ありがとうございました。もし願いがかなうなら、これまで出会った人々にまた会いたい。ありがとうと言いたい。そんなこと出来なくても、ずっと心に想っていたいです。忘れるわけにはいかない。

今回は東京に対しての想いの文でした。読んで頂ければ幸いです。

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