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2022/011/10:フリーペーパーvol.80発刊!

ジョン・マーティン再検証ー後世に伝うべき残響。集中的アルバムレビューで核心に迫る

私とジョン・マーティンの出会い

私がジョン・マーティン(John Martyn)の存在を知ったのは、渡辺享氏が手掛けた「音楽の架け橋 快適音楽ディスク・ガイド」という音楽雑誌を拝読してのことでした。その本には渡辺氏のみでなく様々なミュージシャンの方が寄稿されており、その中でGREAT3という私の敬愛するバンドに在籍する片寄明人氏がジョン・マーティンの作品を紹介されていたのです。

解説文には、エヴリシング・バット・ザ・ガール〜ソロ活動で名曲・名作を作り続けているベン・ワットが強く影響を受けた音楽家である、と書かれていました。片寄氏、ベン・ワット、両者を非常に愛好する私としては、これは聴かざるを得ない!と感じ、即座にCDを購入。

その時購入したのは、片寄氏が紹介されていた「Bless the Weather」というアルバムでした。再生すると一曲目の「Go Easy」から、異様に多層的なアコースティック・ギターが優しく弾かれていき、ソフトなジョンの歌声が浮遊。すぐさま、明らかに素晴らしく輝いている音楽である!という確信に至りました。アコースティック・ギターのコードワークの一つ一つや、メロディーの紡ぎように溢れ出る貫禄が尋常ではなかったのです。そこから私はジョンの音楽を愛する人間となりました。

ジョン・マーティンの経歴をひとまとめ

ジョン・マーティンは1948年に生まれ、2009年に亡くなったシンガーソングライター兼ギタリスト。40年以上の長いキャリアの中で23作のスタジオ・アルバムをリリースし、「フォーク、ジャズ、ロック、ブルースの境界を超えた感動的なギタリスト・歌手」と批評筋から評される実力者です。

マーティンは17歳でイギリスとのフォークミュージックシーンでキャリアをスタート。アメリカのブルースやイギリスの伝統音楽からインスピレーションを受けつつ、1970年代以降はジャズ、ロックを大々的に取り入れ、Echoplexと呼ばれる残響を操作する機械などを使ってギターサウンドに革新を与えます。その後は薬物中毒等に苦しみながらも、2009年に亡くなるまで絶え間なく活動を続けました。

「London Conversation」(1967年)ー個性を漂わせながらも、やはりまだ習作

ここからはアルバムレビューに移らせて頂きます(サブスクリプション・サービスでリスナーサイドが手軽に聴取可能な作品に絞ります)。1967年、ジョンが19歳の時にリリースされたアルバムから始めたいと思います。後のブルース・ジャズへ傾倒していく作品群と比べ、今作は圧倒的にフォーク・ミュージック志向が強い作品です。
ほとんどの楽曲が完全な弾き語りで、演奏は全てジョン自身の手によるもの。アコースティック・ギターは勿論、シタールを弾いている曲もあります。既にギターの腕は確かで、複雑な鳴らし方をさも当然のようにサラサラと行うその手捌きは才覚に溢れています。

しかし楽曲的にはいまいちこれ!というようなフックに欠ける物が多く、「Back to Stay」などその後発揮されていく美しいメロディーセンスの片鱗を感じさせる作品はありますが、まだ習作の雰囲気があることは否めません。あのボブ・ディランのカバーである「Don’t Think Twice It’s Alright」においては、原曲をスローにして甘いコード感を際立たせる様子に並々ならぬ個性を感じさせてくれますが、ディランが歌う原曲に存在する、悪い男が時に見せる優しさのような裏ぶれた空気感には正直敵わないように思います。少し綺麗にまとめ過ぎているというか……。それはそれで良いのですが、やはり私は原曲を聴きたいです。ということで、このアルバムを聴くのは後述していく代表作群を聴き込んでからでも全く遅くないと思われます。

「The Tumbler」(1968年)ーサイケデリック・ムーヴメントと共に。もう一つの習作

性急にギターが奏でられ、「Sing a Song of Summer」からスタートする2作目。今作からはジャズフルート奏者のHarold McNairなど外部のゲストミュージシャンを迎え始め、音に少し彩りが出て来ました。

しかしながらやはりメロディーは妙に弱い。心に引っかかってくる物があまり感じ取れず、1960年代のサイケデリック・ムーヴメントに引っ張られつつ習作を続ける弾き語り歌手の一作品、という感じに終わっています。「Hello Train」で聴こえる逆再生のギターはビートルズの影響でしょうか。この時期はどのミュージシャンもこぞって楽器を逆再生した音を取り入れていたのです。後に孤高の立ち位置を獲得するジョンも、この頃は時代の波を受けながら楽曲を作っていたのだという歴史的証拠になっています。「Fishin’ Blues」「Knuckledy Crunch and Slippledee-Slee Song」は、後々が信じられないような軽いノリのセッション風小唄。後発の作品のような異様な緊張感・空気感が全く無く、何だか祝祭的です。
このアルバムも、代表作群を聴き込んでさらにジョンに興味を持った方のみが聴いておくべき物だと思います。

「Stormbringer!」(1970年 ビヴァリー・マーティンとの共作)ー時代性にも合致した煤けたアコースティック・アルバム

ジョン・マーティンと一時期婚約関係にあったビヴァリー・マーティンとの共作アルバムです。ジョンは6曲、ビヴァリーは4曲を作っており、アルバム全体を通しコードワークやアレンジがどっしりと重たくなってきている印象です。
ここまでの作品に比べアレンジが相当緻密になっており、作品のカラーとしては同時期のジョニ・ミッチェル「Ladies of the Canyon」やジェイムス・テイラー「Sweet Baby James」にも通ずるような内容に仕上がっています。アコースティックなサウンドには1970年代前半の録音物特有の煤けたような雰囲気があります。新たな共同製作者であるビヴァリーの歌声も渋く、後々のジョンのさらに充実した作品には流石に劣りますが、聴き応えはあります。

また、「Sweet Honesty」と「John The Baptist」ではザ・バンドのレヴォン・ヘルムがドラムを叩き、スティーヴン・スティルスやニック・ドレイクといった同時期のフォーク・ミュージック界の才人たちを手掛けたポール・ハリスがレコーディングに置いての指揮を行うなど、製作陣も豪華になってきました。変化の一作です。

「The Road To Ruin」(1970年 ビヴァリー・マーティンとの共作)ー重心低めのフォーク・サウンドを追求

再びビヴァリー・マーティンとの共作。「Stormbringer!」からさらにマイナー調の楽曲が増え、アルバム全体の雰囲気はわりかし重めです。コードワークもより多層的になり、楽曲によってはR&Bシンガーのような歌い回しも試されています。最初のフォーク・ミュージック一色だった時期に比べ、音楽としての幅がはっきりと広がっています。また本作からベーシストとしてダニー・トンプソンが起用され、ダニーはジョンのその後のレコーディングの多くを支えるプレイヤーとなっていきます。

本作の発表時に、所属のアイランドレコードはジョンにソロ活動を再開するよう説得しました。アイランドはリスナー側がデュオとしてでは無く、ソロのアーティストとしてジョンに興味を持っていると信じていたようです。ビヴァリーとの共作活動はここで終了し、ジョンは本格的に個人での音楽活動のキャリアをスタートさせていきます。

「Bless the Weather」(1971年)ー何者にも辿り着けない独自路線の幕開け

ソロアーティストとしてのキャリアを再開させたアルバムであるとともに、ジョンの特殊かつ美麗な音楽性・並びに対外的な評価を確立させた一作です。
オープニングの「Go Easy」からして明らかにこれまでの作品と違うムードが流れています。多重性のあるアコースティック・ギターの音色は煙がたなびくような憂いに満ちた空気を演出し、ジョンの歌い回しは一気にR&B・黒人音楽的な自由で伸びやかな歌い方になっています。あくまでフォーク・ミュージックであることを前提としていたようなこれまでの作品とは異なり、様々なジャンルの音楽がジョンのギターと歌声の中で混ざり合っていることを感じ取れます。

Bless the Weather」「Walk on the Water」「Head and Heart」といった楽曲でジョンはジャズに接近し、歌い上げるウッドベースやリズミカルな鍵盤楽器を身にまとい、より気ままな音のうねりを作り出しています。中でも「Head and Heart」は他アーティストからもカバーされるジョンの代表曲となりました。重層的なコード進行の中に凛と咲き誇るメロディー、緊張感を漂わせるアコースティック・ギターの溌剌な響きが印象的です。
アルバムのクライマックスとなる「Glistening Glyndebourne」はインストゥルメンタルで、パーフェクトに深夜帯の雰囲気です。「エコープレックス」と呼ばれる楽器の残響音をコントロールする装置でアコースティック・ギターを多層的に演奏しており、スリリングなセッションです。ディレイをサウンドの前面に据えるという試みを後のU2、ドゥルッティ・コラムといったアーティストに先んじて成功させているという点においても非常に重要な一曲です。

このようにどのトラックも聴き応えに満ちている「Bless the Weather」はリリース当時から各方面の高い評価を獲得し、現在もファンに根強く愛されています。前述の通り、私が初めて聴いて気に入ったジョンのアルバムも本作でした。文句の一つも付けようがない、非常に素晴らしいアルバムです。初めてジョンの音楽を聴くという方は、このアルバムから手を伸ばすのが良いでしょう。

「Solid Air」(1973年)ー切なさを目覚めさせる精神分析的名作

ジョンの友人であったフォークシンガー、故ニック・ドレイク(この方もまた天才的な人物です)に捧げられた表題曲「Solid Air」から始まる本作こそ、間違いなくジョンの最高傑作でしょう。

極端に低いチューニングを施された摩訶不思議な鳴りのアコースティック・ギター、妖しくうねるウッドベース、灯火のような鉄琴の音色。ジョンの歌声も一段と低音が増しています。どんな時間帯に聴いても闇夜に引きずり込まれるような魔力がほとばしるこの「Solid Air」こそジョンの最大の代表曲。1970年代から現代に至るまでフォーク・ミュージック界から生まれた楽曲の中でも非常に異端な、だからこそ文句無しに美しい一曲として世代を超え人々を魅了しています。

Don’t Want to Know」もまた名曲で、紡がれるメロディーやビートは完全にR&Bの領域に入っています。同時代のスティーヴィー・ワンダーやマーヴィン・ゲイの作品と並べて聴きたくなるような洒脱さ。豊潤な闇を使って聴き手の魂を浄化するようなサウンド。3分程の時間の中に、妙に涼しげな夜の空気感が収められています。

I’d Rather Bet the Devil」では前作に引き続きエコープレックスによる残響操作が行われます。ドロッと濃い歌声とギターによって一際高い熱情が打ち付けられていきます。ジャズもブルースも実験性も全て飲み込み、様々な和音が一緒くたになって迫ってくる様に圧倒されることと思います。

しかし私がこのアルバムで最も好きなのは「The Man in the Station」。ここまでの夜の空気をまとった楽曲から一歩進み、空が白むのを静かに見つめるような、夜明けの瞬間を描き取ったようなこの曲の雰囲気は本当にたまらないものがあります。メロディーも非常に切ない。「明るい」でも「暗い」でもないのです。このメロディーはどうしようもなく「切ない」メロディーです。そして、「切ない」メロディーを紡ぎ出せるミュージシャンは極めて珍しい存在。ジョンは「切ない」メロディーを心の芯から生み出すことの出来る、近年に至ってもなかなか存在し得ないようなミュージシャンです。

「Solid Air」というアルバム。それは人間が持つ「切ない」という感情の在り処を優しく解析していくような、極めてジェントルに遂行される精神分析のような作品なのです。

「Inside Out」(1973年)ージャズへと傾いた野心みなぎる一作

充実の「Solid Air」から8ヶ月後、短いスパンで発表された作品です。
完全に晩年のジョン・コルトレーンが行っていたようなスピリチュアル・ジャズ系統のサウンドに接近しており、エフェクトによる変調が施されたエレクトリック・ギター、フルート、サックス、タブラと様々な楽器を思い切り取り込んで無国籍な音楽を体現しています。フォーク・シンガーとしてのスタイルは完全に取り払われ、世界のどこにもない音楽を追求するジョンの姿が克明に映し出されています。ジョンのギターが持つ、一人で三人分の音を鳴らすような独自のコード感覚が、ジャジーなセッションにジョン印の焼き印を押しています。つくづくジョンは個性的なミュージシャンで、ジャズや民族音楽のエネルギーの中でも全く存在が埋もれていません。

ライブでは18分超の演奏にまで拡大していた「Outside In」がアルバムの核となっているのは間違いありません。曲後半、あらゆる楽器のざわめきとともにエコープレックスをガッツリとかけられたギターが反響し続ける様は非常に美しく、音楽の粒子で巨大な海を描いていくかのような壮大さです。

そんな中、「Fine Lines」「Make No Mistake」「Ways To Cry」といった「Solid Air」と地続きの豊潤な楽曲も用意されており、実験のみに熱中せず、きちんと美しい歌を抽出しているところにも非常に好感が持てます。是非とも「Solid Air」と合わせて聴いて頂きたい、ジョンのキャリアの中で欠かせない一作です。


「Sunday’s Child」(1975年)ー過渡期のスケッチ
ジャズへの傾倒を極めた「Inside Out」から一転、この「Sunday’s Child」ではロック・ブルース調の楽曲が中心となっています。全体として、シャウトを盛んに取り入れた歌い回しが印象的です。エレクトリック・ギターにもアコースティック・ギターにもエフェクトによる変調がかなり見られ、ジョン印の重奏的なコードワークも相まり、単なる古めかしいロックンロールやブルースの再現ではない場所に到達しようとしている感覚が一貫しています。

Satisfied Mind」はカントリーの定番ソングをカバーした一品で、スティールギターののどかな響きはジョンの作品においてこれまでになかったもの。本当にジャンルレス、ボーダーレスな音楽を追求しているのだと気付かされます。7分に及ぶシリアスな面持ちを抱く大作「Call Me Crazy」など「Solid Air」から地続きなジャズ+アコースティック+ファンク的楽曲も用意され、ジョンが音楽活動や生活において培ってきたエッセンスがさらに詳細に総合されるプロセスを見るようです。

しかしながら一曲ごとに強靭な完成度を誇っていた旧作の「Bless the Weather」や「Solid Air」に比べ、楽曲としては小粒な作品が多めなのも特徴です。サウンドのクオリティは非常に高いのですが、そこに楽曲のクオリティが並走していない印象です。これを聴くのは「Bless the Weather」「Solid Air」を聴いてからで大丈夫であると思います。過渡期の一作として捉えましょう。

「One World」(1977年)ー逆境の季節に生まれた怪物的傑作

本作においてジョンの音楽は新たなターニングポイントを迎えることとなります。
1976年、家族とジャマイカで休暇を過ごしたジョン。ジャマイカでの旅行中、リー・スクラッチ・ペリーという有名なレゲエ界のエンジニアと本作収録の「Big Muff」を共作します。リー・ペリー、とうとうこの方も亡くなられてしまいました…..。彼はダブ・ミュージックという残響音を著しく強調したレゲエを作り出したパイオニアなのです。

リーの影響を受け、ジョンは自らの音楽にダブ・ミュージックを大きく取り入れます。レコーディングは農場で行われ、屋外レコーディングも敢行しガチョウの鳴き声や湖の音などの自然音を採取、活用。さらにこれまでとは違い、アコースティック・ギターのサウンドを減らしてエレクトリック・ギターをたくさん弾いています。

この作品の背景として、ジョンはそれまで過密なツアー活動を行っていました。しかし彼を取り巻く音楽業界の人間はクリエイティヴィティより金銭的な問題を優先しようとし、それによってジョンは音楽業界に幻滅したと言います。また、1975年にはツアーを共にしたギタリストが亡くなり、この時期と前後して「Solid Air」を捧げたジョンの親友、ニック・ドレイクも亡くなっています。ジョンは相次ぐ友人の死、ビジネスのこじれによって疲弊していました。

しかし、こうした逆境の季節にとんでもない作品を作ってしまうのがジョンの才覚。このアルバムは極めて充実した作品となっています。「Dealer」からドロッと濃い、しかし異様な浮遊感に満ちたギターワークが耳を惹きます。ここにあるのはもはやブルースでもロックンロールでもフォークでもないのです。果てしない洗練!ーシティ・ポップ、アーバン、といった意味合いでは勿論ありませんー即効性のある分かりやすい表現ではなく、じわじわと日常を塗り替えていくような音。タイトル曲「One World」のムーディーなたゆたいもたまらないものがありますし、前述の「Big Muff」はジミ・ヘンドリックス的・ドロッと濃い目なブルースロックの異端な進化型です。

ピークはやはりアルバムのラストを飾る「Small Hours」でしょう。ここでのエレクトリック・ギターの音色は非常に美しく、心音のようなビートとシンセサイザーが浮遊し、ジョンのため息のような歌声が近付いたり遠ざかったりと、海底を遊泳するようなサウンドを作っています。1977年といえばイギリスではパンク・ムーヴメントが巻き起こり、殺伐としながらも賑々しかった時代。そんな時代に、このような浮世離れにも程がある音を作り出したジョンの先見性は後のヒップホップ系のアーティストにまで受け継がれていきます。ガチョウの鳴き声と共に気が遠くなっていくような神秘性に満たされます。

「One World」においてジョンは自らの苦悩を超越し、これまでで充分に凄まじかった創造性をより一層高めてしまいました。どうかあなたの8分間を割いて、まず「Small Hours」!これを是非聴いて頂きたいです。アルバムのラストから聴くのもおかしな話ではあるのですが……。音楽というメディアはここまでの凄みある風景を作り上げることが出来る、という証が刻まれた8分間、これは聴き逃して頂きたくありません。

「Grace & Danger」(1980年)ーあなたの心の傷が失くなったときに、私を呼んで欲しい

これ以上無いほど充実した「One World」に続く本作もまた、ジョンの人生における重要な作品です。
この作品の背景を御説明しますと、前述の通り共作も行った当時のジョンの妻であるビヴァリー・マーティンとの離婚が製作時に起こっています。楽曲にはジョンが経験した感情的な変化が現れており、レーベルの所有者であるクリス・ブラックウェル(ジョンとビヴァリーの共通の友人)がアルバムに漂う沈鬱さを気に病み、1年以上リリースに悩むほどの悲しみが「Grace & Danger」には現れていました。
このアルバムで最も美しいメロディーを持つ(私観です。他曲も素晴らしいです)、屈指の名曲である「Hurt In Your Heart」の歌詞を抜粋しましょう。

ー声を荒げる必要は無い・私はまだ同じ気持ちだ・私は嘘をついてはいない・あなたを待っているー
ーあなたの心の傷が失くなったときに、私を呼んで欲しいー

当時のジョンの心境がダイレクトに現れていることが一目瞭然です。それを伝えるサウンドはこれまでに比べて実験性や摩訶不思議さが抑えられ、当時流行していたAOR系のサウンドに分かりやすく接近しています。この変化はある種保守的に映るかもしれませんが、彼の傷付いた心が一定の穏やかなサウンドを求め、具現化させたと考えるべきでしょう。

また製作中、ジェネシスの活動で有名なフィル・コリンズとジョンの交流が深まっていることも重要な点です。当時はフィルもまた苦痛な離婚を経験しており、フィルのこの時期のアルバム「Face Value」も関係の崩壊を歌った作品となっていたのです。フィルは「Grace & Danger」の全曲でドラムを叩き、要点でバックボーカルも務めています。これは非常に豪華な客演ですし、実際にフィルの抑制されたドラミングと歌い回しはジョンの麗しい楽曲と見事なコンビネーションを見せています。

間違いなくこの作品もまた名作です。「Solid Air」や「One World」といったジョンの代表作に触れた後に、是非聴いて頂きたいと思います。

「Glorious Fool」(1981年)ーAOR路線を深めるアクション

傷を負った心を美しいメロディーとサウンドで表現した独自的な傑作「Grace & Danger」に続く今作「Glorious Fool」において、AORを通過したミュージシャンとしてのジョンのスタイルが固まり始めます。

前作に引き続きフィル・コリンズが全面参加、さらに一曲目「Couldn’t Love You More」ではなんとエリック・クラプトンが参加しあの乾いたエレクトリック・ギター・サウンドを聴かせてくれます。メロディーも非常に美しく、都会的なアレンジはまるでスティーリー・ダンのよう。続く「Amsterdam」はほぼ同時期に発表されたマイケル・ジャクソン「Beat It」とも共鳴するような研ぎ澄まされたロック。この2曲でしっかりワンツーパンチを決めている感じがあります。

アルバムのピークポイントはやはり「Hearts and Keys」「Please Fall In Love With Me」の2曲でしょう。余白を大切にしたアレンジがこの2曲には共通しています。ジョン特有のコードセンスが鍵盤楽器やフレットレス・ベースも含有した形で表現されており、スネアを避けるように叩かれるアンビエント感漂うドラム、多重録音されたコーラス。それらによって浮遊的に盛り上がりながらも、どこかエモーションの深部が抑制されているようなこの感覚。これがまさにジョンの音楽に一貫する体温。当時の流行であったアーバンなサウンドをも自らの色に塗り変えてしまうジョンの強いオリジナリティに感じ入ることが出来ます。

アルバム全体としては中盤辺りでメロディーの鮮度がたるんでしまうような感覚もありますが、やはり美しい音楽です。ジョンがAOR色を強めた時期に生み出された作品群は未だ大きく再評価される兆しはありませんが、シティ・ポップ系の洒脱な音楽が広く聴かれる現代なら、もっと聴かれても良いと私は思うのです。

「Well Kept Secret」(1982年)ートゥーマッチな産業ロック系アルバム

続く本作は完全にAORを通り越して当時の産業ロック系に接近した作品。代わる代わるスタイルを変えていくジョンのキャリアの中でも、最も過激に売れ線に沿っています。激烈に情熱的なコーラスが響き荒々しくロックする「Gun Money」「Love Up」など、かなりやり過ぎている印象があります。過去の作品と照らし合わせても、ジョン・マーティンという人間がこのような音楽を作る必要性はあまり感じません。

ただそんな中にも、切れ味鋭く冷たいコードを響かせる「Back With a Vengeance」が光っていたり、全体を見ても音のクオリティは非常に高かったりと、完全なる粗悪品という訳ではないのがジョン・マーティン愛好者としては非常にもどかしい作品です。この作品は正直後回しで大丈夫でしょう。

「Sapphire」(1984年)ー「Sunday’s Child」の再来か

再びAOR系のアルバム。ここでは当時最先端のドラムマシンであった「リン・ドラム」を全面的に導入しています。このリン・ドラムはプリンスなど様々なミュージシャンが大々的に使用していたことで有名で、現代のリズムマシンには珍しいような過度に硬質なサウンドが特徴。このリン・ドラムというマシンにリズムを一任したことで、ジョンの作品にしてはリズムが揺れることなく、縦並びにきっちりしている印象です。

ここまで来るとジョンの作品において常に印象的だった多層的なコードワークのギターもあまり前面に出ておらず、代わりにシンセサイザーの浮遊感溢れる音色やサックスなどのムーディーな管楽器が強く押し出されています。ジョンのギタープレイの影が薄いのは痛手ではありますが、当時のブルー・ナイルやプリファブ・スプラウト、スタイル・カウンシルといったR&Bとアート性を混交させたアーティストに通ずるサウンドが仕上がっており、産業ロックに浸かってしまった「Well Kept Secret」よりもずっと聴いていて楽しいです。

しかしながら楽曲としては小粒な作品が多く、過去の作品で言えば「Sunday’s Child」にも通ずるようなスケッチ集的な感覚が拭えません。一発でジョンの意識に引きずり込まれるくらいにパンチのある楽曲がなかなか生み出せていないというか……。正直、「One World」「Grace & Danger」の強烈な流れでジョンのコアな部分は一旦出し尽くされてしまったのかもしれない、とも勝手に感じてしまいます。
今も歌い継がれるスタンダード曲のカバー「Over the Rainbow」が本作のピークポイントでしょう。打算を排除して情熱的に歌い上げるジョン!魔力が宿る太い声は「Solid Air」から10年経っても全く衰えていません。サウンドは変わってもジョンはジョンとして生きている。その事実の尊さが伝わってくるような歌唱です。

「Piece By Piece」(1986年)ー思索を経て、ジョン・マーティン流80’sPOPが完成

「Grace & Danger」から始まったAOR路線の追求は、この「Piece By Piece」においてひとまずの大きな完成形に辿り着いたと言えます。ここまでの試行錯誤を感じさせる作品がある種の布石だったのでしょう。イントロから勝負を付けに来るような力強い楽曲が並んでいます。

例えば「Lonely Love」。アイズレー・ブラザーズ、スティーヴィー・ワンダーの同時期の楽曲とも通ずるようなスウィートさを持つこの楽曲は、ジョンがこれまでで最も黒人たちの作るコンテンポラリーなポップスに接近した一曲でしょう。そういえばこの頃はスタイル・カウンシルも「The Cost Of Loving」という甘くポップな作品を生み出していました。「Lonely Love」を聴くとそういうことを連想してしまいます。

そしてここまで続いた作品群にあった抜けの悪さにもどかしさを覚えていた方も「Angeline」を聴けば目を見開くこととなると思います。メロディーの強度が全く違うのです。ジョンがそのメロディーセンスを発揮する際に最も得意とするある種の「切なさ」を、1980年代のテクノロジーによって刷新したような音像はAOR・アーバン・シティ、と言ったありがちな形容を飛び越えるような魂の具現化。低域から高域まで豊かにうごめくようなサウンドは、ヴェイパーウェイブ、チルウェイブといった近年の音楽ムーヴメントによってAORの再評価を経験した現代において、より新鮮さを増しています。

Who believes In Angels」はドラマティックにシンセサイザーが花開く、夜に聴きたくなるようなスローバラード。感傷的なメロディーですが一切媚びた様子は無く、熟練のミュージシャンにしか鳴らせない毅然たるサウンドです。

ラストに鎮座する「John Wayne」は以前のジョンが頻繁に演奏していたようなブルースをマシン・サウンドと合致させた実験的な一曲。ジョンのがなり・唸りが冴え渡ります。

全体を見ると久々に翳りのあるメロディーが印象的なアルバムで、サウンドの変化はありながらも、過去作品で言えば「Bless the Weather」とも根底にあるものは違わないように感じます。ジョンの優れた音楽は実のところ彼の敏感なメロディーセンスの賜物である、ということの証明となるようなアルバムです。
「Solid Air」などの代表作を聴いてジョンの音楽に惚れ込んだという方は是非とも聴いて頂きたい一作です。これぞジョン・マーティン流の80’sポップ!

「The Apprentice」(1990年)ー純AOR系ポップスへの解脱

この辺りからジョンのリリースペースが不規則になっていきます。1988年にはデモ音源のレコーディングが行われていたという本作は完全にポピュラーミュージック寄りの作品で、ジョンの作品の中でもトップクラスに時代を感じさせます。サウンドの傾向として似ているのは同年のプリファブ・スプラウト「ヨルダン:ザ・カムバック」あるいはエヴリシング・バット・ザ・ガール「ザ・ランゲージ・オブ・ライフ」辺りでしょうか。要するに完全なAOR系ポップスです。

しかしながらスローな楽曲には秀作が多く、「The River」「The Moment」はジョン印の麗しいメロディーの運びに生楽器とシンセサイザーを程良く交錯させるアレンジも相まり、ニュートラルに良い曲に仕上がっています。

「Cooltide」(1991年)ー純AOR系第2弾

本作も完全なAOR系ポップス集です。正直サウンド的にはそこまで面白くはないですが(1970年代にジョンが生み出した作品があまりに凄まじかったので、対比するとやはり見劣りします)全体に漂うナイトミュージック的な雰囲気は、夜の高速道路や都市の情景を思い起こさせます。シンセサイザーの音色には昔のローカルなテレビ局やラジオ局で番組の合間にかかっていたラウンジミュージックのような空気感もあります。

秀作は「Call Me」でしょう。ジョンにしてはかなりベタなメロディーを持つ一曲ですが、色々な音楽を聴いていると結局こういうバラードが快く感じられるものです。同時期のプリンスも、こういったシンセサイザーを多用したバラードが多い印象です。
また、前作に比べて一曲一曲が長めで、ラストの若干フリー・セッション的な表題曲「Cooltide」は12分に及んでいます。この頃のジョンには時間の流れが緩やかに思えていたのかもしれません。それはアルバムのリリースをあまり急がなくなっていることからも伺えます。

「The Church with One Bell」(1998年)ーブルース系AORサウンドのカバー集

ジャケットはスコットランドのラナークシャーにあるロバートソン村の教会を写したもの。当時隣の別荘に住んでいたジョンは教会を購入してレコーディングスタジオに改造したそうです。

内容はこれまでありそうでなかったカバーアルバム。「トイ・ストーリー」の楽曲を手掛けたことでよく知られるアメリカの有名なシンガーソングライター、ランディー・ニューマンの「God’s Song (That’s Why I Love Mankind)」やジャズ・スタンダード「Strange Fruit」など様々な楽曲をブルージーにカバーしています。
アレンジはどれも薄味で抑制的。ジョンならではの摩訶不思議さは特にありません。歌手としてのジョンにポイントを定めた作品であると考えれば、それも正確なジャッジと言えるでしょう。

個人的に驚いた選曲はヒップホップ畑の暗黒ユニット・ポーティスヘッドの「Glory Box」。セールスはありながらも一貫して音楽界の裏道を歩むようなポーティスヘッドの楽曲をカバーするという試みだけでも珍しいことですし、しかもカバーしたのがジョンというのが凄い。ジョン・マーティン印の、一際枯れたブルース系AORに仕上げています。

「Glasgow Walker」(2000年)ー当時〜現代のネオソウルと共振する洒脱なサウンド

盟友フィル・コリンズからの提案によって、ギターではなく鍵盤楽器で作曲を行ったという新たな試みのアルバム。キャリアも佳境に入ってきていますが、それでも今までやったことのないことを試みる精神の保ち方が流石です。
この頃になるとジョンの歌声に老いが感じられてきます。若干声にパンチが無くなってきたというか……。過去のアルバムにあるような極端な「吠え」「唸り」を求めることは難しくなってきています。

しかしながらディアンジェロなどに代表される2000年代のネオソウル系と共振するようなトラックを持つ「Mama T」、ドゥルッティ・コラムのようなエレクトリック・ギターのサウンドとマシン・ファンクのビートを洒脱に融合させた「Can’t Live Without」など、ただ単に老いていく様を映し出したようなアルバムではなく、独自性が守られています。
特に「Can’t Live Without」は凄く良く、2020年代のネオソウル系の変容(抑制されたギターサウンドの流行)まで見据えていたかのような一曲に仕上がっています。この浮遊感が漂うようなギター+ヒップホップ・ビートの路線で作品を一貫させても良かったのではと、少し思ってしまいます。

「On The Cobbles」(2004年)ー音楽に対してイノセンスであり続けた歴史の重み

ジョンが生前最後に発表したアルバムとなります(実際の遺作は次の「Heaven and Earth」)。ジャム〜スタイル・カウンシルで活動しパンク・ムーヴメントを充実させた張本人であるポール・ウェラー、旧知の仲であるダニー・トンプソンを始めこれまでで最も多いのではなかろうかというほど多くのミュージシャンが参加した作品です。録音場所もアイルランド、イギリス、アメリカの様々なスタジオを使用しています。

内容としては過度な装飾や実験性を取り払ったアコースティック系の作品で、オープニング「Baby Come Home」のジョンによるカウントからして最後の力を振り絞るような情熱があります。
久々にジョンのアコースティック・ギターが全編で鳴り響いており、ポール・ウェラーがバック演奏の中核を担う「Under My Wing」は「Solid Air」の頃を彷彿とさせる洗練されたアコースティック・アーバン・ブルーズ。「Walking Home」もジョンがここまで繋いできた切なさ溢れるメロディーセンスが集約したような秀作です。かつての名曲「Go Down Easy」のセルフカバーは様々な楽器がスピリチュアル・ジャズのように入り組む幻想的なアレンジで「Inside Out」の賑々しさを思い出させてくれます。最後は「Goodnight Irene」で一息ついて終了。

思えばジョンの音楽は一貫して美しいメロディーを有するものでした。どれだけ実験的な方向・もしくは大衆音楽的な方向に走っても決してメロディーの強度を磨き上げることを忘れなかったジョン。その美しい旋律を生み出す能力の豊かさは本当に稀なるものだと思います。不幸に見舞われても、どれだけ年老いても、ジョンはジョンの旋律・和音を守っていたことを決定付けるように「On The Cobbles」は鳴り響きます。本作を聴くと、ジョンが持っていた魂のイノセンスな部分へと勝手に思いを馳せてしまいます。

「Heaven and Earth」ーそして、とうとう遺作。

ジョンの死後に発表された遺作がこの「Heaven and Earth」です。全体として楽器によるセッションを基調として作られた感があり、彼が1980年代に作っていたようなかっちりと曲展開が決められたポップス的な作品ではありません。過去の作品に例えるなら「One World」に一番近い香りがします。

楽曲として素晴らしいのは表題曲の「Heaven and Earth」とラストの「Willing to Work」。洗練されたコードの循環からフリーフォームなセッションを拡張していくような感覚があり、最後の最後に優しく音を楽しみ、慈しんでいることが伝わってきます。「Willing to Work」の終盤には犬の鳴き声まで聞こえてきますが、ビーチ・ボーイズの「Pet Sounds」のエンディングを意識したのだろうか?と考えるのはいささか深読みし過ぎでしょう。しかし、パーフェクトな作品を常に目指し、実際にいくつも作り上げてきたジョンの人生と、ビーチ・ボーイズ(特に中心人物のブライアン・ウィルソン)が見せる美しいハーモニーの中で芸術にもがく姿は個人的にかなり一致します。
盟友フィル・コリンズのカバーである「Can’t Turn Back the Years」も、ただただ優しくて透き通った感覚があり非常に秀逸です。

少なからずの人生に訪れる苦痛や不安、憂いを内包するような音楽を作り続けてきたジョンが、最後にこういった陽だまりのような作品を作り出していることに、私は安心を覚えます。正直、作品として胸に迫るのは苦痛に満ちていたジョンが作った作品(例えば「One World」「Grace & Danger」)なのですが……。最後まで切なく、苦しい人生だったらこちらも酷く悲しくなってしまうものです。本作は実に理想的な遺作なのではないかと思います。

音を慈しむジョンの姿に学ぶ。そして、安定した再評価を切に希望します!

ここまでジョンの作品を一作ずつ追ってきました。本当に膨大な作品群です。彼は音楽と共に生き、音の中に自らを見出した人間で、だからこそここまで多くの光り輝く作品を作り出せたのだと思います。あらゆる音楽ジャンルの壁を越え、音と声の力によって、浮世とはまた別の独立した世界を作り出したジョンの音楽。後世に伝うべきものであると思います。
音楽家であるということは、すなわち音の中に居続け、音を慈しみ続けられるかどうかであるということである、とジョンの生涯は教えてくれるように思います。

彼の作品の中でアルバムを三作選出するなら、私は「Solid Air」「One World」「Grace & Danger」です。アコースティック・ギターで深淵まで辿り着くような「Solid Air」、様々な音をスピリチュアルにかき混ぜて高揚を生み出す「One World」、苦痛を洗練されたAORミュージックに昇華させた「Grace & Danger」。私はやはり、この3作が好きです。
ジョン・マーティンの音楽は今やサブスクリプション・サービスで手軽に聴けるようになりました。しかしながらそれでもなかなか再評価されて来ないのが現実です。
是非、ジョンの音楽を聴いてみて下さい。本当に素晴らしい体験がそこにあります。

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