「羞明(しゅうめい)」とは、光を過度にまぶしく感じてしまう症状のこと。光の通り道の前部に異常物体があり、そのため光が散乱しまぶしく感じると説明される。認知度は低い。
症状に対する知識が乏しいために、異常なし、自律神経失調症、心因性疾患、詐病の疑い、などと診断されることが多い。患者本人はとても苦しんで、日常生活も送れない状態にあるのに、医学的にも社会的にも正当に評価されない。年金は受けられず、保険も却下されるという。
この状態では、直接視力や視野に異常が出ないので、視覚障害者と同等以上の不自由さなのに、障害者とは認定されず、障害年金もなかなか受けられません。労災保険や生命保険でも、当てはまる項目がないなどとして却下されてしまうケースをよく目にします。
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視覚に障害をお持ちの方への理解がまだまだ弱いと実感します。視覚障害者にとって、室内のライトや舞台からの照明にも過敏に羞明を感じます。多くの方に「室内でサングラスをかける理由」を知っていただきたいです。寝起きで急に灯りを点けた時をイメージされたらご理解いただけるでしょうか。
— 東海光学 お客様相談室 分室 (@tokaiopt_cs2) April 20, 2013
先日、私は交通外傷で視覚異常が出現し、さらに別の目的で処方された神経系薬物を使用してから、中枢性羞明が重篤になって、機能的失明といえる状態に陥った40歳代の女性が原告となっている裁判に原告側証人として出廷し、こうした症状に対する理解が医療界でも遅れ、社会的にも無視または軽視されていると述べてきました。
視覚障害認定要領の留意事項に「開瞼(かいけん)」についての説明がある。
「 開瞼(もとの文章は開眼となっていますが、開瞼が正式です)困難な場合の障害認定について、両眼または一眼眼瞼下垂等のため開眼が困難で、日常生活における視力が確保できないとしても、視覚障害として認定を行わないものとする」
目を開かないのは、故意のものだという偏見によるものと思われる。中枢神経系の病気という理解のなかった時代の誤った解釈が、医学の進歩した現代でも放置されている例だろう。このために、視覚障害として認識されず、あらゆる不合理に遭うことになる。
日本は、弱者、病者、障害者など、弱い立場にある人に優しい国になったはずだ。先に挙げたような留意事項は不適当なものとして、早急に反故にされるべきだろう。
via:YOMIURI ONLINE