サイトアイコン より良い社会を目指すメディア HIFUMIYO TIMES

私が「普通・常識」という言葉が嫌いになった理由

私は「普通」や「常識」という言葉が最近嫌いになりました。実はもとから嫌いだったのではなく、病気になってから嫌いになりました。

以前は、私もよく使っていました。「普通ならわかるやろ~」「常識やろ~」。しかし、最近の私は思います。私の普通があなたの普通とは限らない。

「普通」とはなんでしょうか?「常識」とはなんでしょうか?意味や定義で言うならこういうことです。

【普通】いつ、どこにでもあるような、あふれたものであること。他と特に異なる性質を持ってはいないさま。
【常識】健全な一般人が共通に持っている、または持つべき、普通の知識や思慮分別。

病気になってからよく言われるんですが、就労継続支援B型事業所の利用者には「あなたは普通だから」。古くからの友人には「あなたはオカシイから」。私はいったいどちらなのでしょうか?

私は思います。どちらもあなたの「心のものさし」の基準でしかなく、私の普通はあなたの普通とは一緒ではないということを。

誰かが言っている「普通」というものが、そのまま私の「普通」にはなりえない。
リア充の一日と、ぼっちの一日が異なるように、人によって「普通」は異なります。
私にとっては「特別」なことが、誰かにとっては「普通」な出来事にすぎないことも往々にしてあります。

人は日々成長変化するし、世の中の常識とやらも変化を続けています。常に普通や常識は進化をしています。

あなたの普通は本当に普通なのでしょうか?もしかしたら特別なのかもしれません。

あなたも一度、普通や常識を捨ててみてはいかがでしょうか。

via:huzai’s blog

http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/book/15/101989/091400011/?rt=nocnt

via:日経ビジネスONLINE

モバイルバージョンを終了