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2024/4/10:フリーペーパーvol.97発刊!

「愚痴を言いたくならない世界に」そのためにも合理的配慮を育てよう

合理的配慮

障害を理由をした不利益や差別をなくすための法律、「障害者差別解消法」が今年4月に施行され、早くも5ヶ月になります。しかし、施設面や心のバリアフリーはまだ十分とはいえないのが現状です。

「合理的配慮」が世間により一層浸透し、当たり前となれるような社会を目指し、僕も記事を書いている日々です。「障害者差別解消法」とは以下のように国や自治体に義務付けられたものです。

障害を理由とした差別を禁止する目的で4月に施行された。障害者本人や家族、支援者らから要望があった場合、費用面などの負担が過重にならない範囲で、障害者の社会的障壁を取り除く「合理的配慮」を国や自治体に義務付けた。民間企業には努力義務とした。

岡山大病院精神科医師を務める流王雄太さんも、こうした「合理的配慮」が社会に広がっていくことを願う一人です。流王さんには、四肢まひの重度障害があります。高校時代のラグビーの試合中に首を骨折し、手足が動かなくなり、車いす生活を余儀なくされました。

そんな流王さんですが、岡山大大学院に進学後、山形県に車いすの医師がいることに勇気づけられ、医師になることを志しました。医師になるまでには幾多もの困難を乗り越えてきたことでしょう。

障害があると、愚痴を言いたくなるような出来事と嫌になるほど遭遇する。たいてい我慢しているのだが、今回は聞いてほしい。

確かに愚痴を言いたくなるような出来事、今まで僕が生きてきた中でも多かった気がします。

学生時代の先輩や友達が、バスや市電などの公共交通機関での乗車拒否や運転手の心無い差別的な言動に傷つけられたという話をたくさん聞いてきて、たとえ他人事とは思えない深い憤りを覚えたことも数えきれないほどあります。

流王さんは僕たちの年代と比べたら人生経験もとても豊富なので、今挙げたこの話も本当はまだまだ序の口なのかもしれません。

20年以上前、就職活動で苦しんでいた時、岡山県内の自治体に就職できないか相談に行った。担当者は「自分一人で通勤できないと雇用できない」と言った。家族に車で送ってもらえば通えるのだが、駄目だという。最近になって論文を調べたところ、ほんの一部を除き、全国の多くの自治体で、このルールが残っていることが分かった。

他の会社ではこんなこともあった。私は情報処理の資格を持っているので、そういう関連の会社の採用試験に臨んだ。ところが、面接で「お客さんの会社に自分の車で運転して行ける人を探している」と断られた。

ハローワークの求人票を見ても、「AT車の運転が可能な方」と明記されていることが結構多いもの。営業などの立ち回りの業務であれば、どうしても自動車の運転が必要になるからということもあるのでしょう。

障害で手足の力があまりなく体幹も保てないような僕も、求職の際にはこうした事業所の求人票はスルーした記憶があります(笑)。就職面だけでなく、日常生活でも街に出かけたりすると多くの困難が待ち受けます。

ある日のこと、エレベーターのドアを開けて待ってくれる人がいたので乗り込み、降りる階のボタンを押してもらおうと思ったら、その人はそのまま出て行った。ドアが閉まり、自分ではボタンを押せない。次の人が乗ってくるまでじっと待つしかなかった。エレベーターはいまだに怖い。

車いすの人たちにとってはエレベーターも大事な「足」ですが、ボタンを押せないと使えません。

開けて待っててくれるんだったら、最後の行先階ボタンを押すのまでしていってよ~と言いたくなりますが、現実は厳しいものですね。

しかし、エレベーターにこうして閉じ込められた時が、もし今年の夏のような猛暑日だったらと考えるとなおさら怖いものです。

米国には(建築物や道路の段差をなくしたり、雇用での差別を禁じたりした)ADA法という法律がある。内容的には日本の障害者差別解消法のようなものだが、ADA法の方が義務や罰則がはっきりしている。障害を理由に機会の平等を与えないことは差別だとし、就職面接の際に障害や病気の有無、重度を尋ねてはいけない。約20年前、米国に住んでいる親戚の家に数週間遊びに行った。山奥であろうと行く先々でエレベーターやスロープがちゃんとついていて驚いた。観光地でない普通の町でもだ。

この話を聞くと、日本が障害者への配慮に対していかに遅れているか痛感させられます。さらに都会と比べて、地方の町は特に遅れがちな状況が目立ちます。

https://twitter.com/hirari38806372/status/762297633142472704

日本の「障害者差別解消法」は、合理的配慮や差別禁止という観点ではアメリカのADA法と 似たような法律にも思えますが、義務や罰則ははっきりしていません。

日本でも、将来的には合理的配慮の義務や差別に対する罰則などを設ける方向により踏み込んでいってほしいものです。

日本のように事前に電話をして入れるか確認しなくてもいいし、入店を断られるのではと心配する必要もない。行きたい所に行けて、やりたいことがやれる。自分がどんどん元気になっていくのを実感した。

鹿児島では、市バスなどの低床バスを利用する際でも事前に連絡をしなければならなりません。低床バスの運行が「あたりまえ」ではないからです。アメリカではこうした事前連絡も必要ないんですね。障害者であっても、健常者と同じように好きな時に利用できるのは非常に羨ましいです。

わざわざ連絡を入れないといけないというのは、その時点で健常者との大きな壁を作っているようなものです。自然とみんなと同じように利用できたら、障害者で利用したいという方ももっと増えるのではないでしょうか?

障害者差別解消法に出てくる「合理的配慮」について考えてみたい。内閣府が示した合理的配慮の事例をみると、ハードルの高いものが多い。具体例を挙げれば、エレベーターがない施設で移動する際にマンパワーでサポートするなど。これはどこでもできることではない。障害がある人に言いたいのは、あまり期待をしすぎないように、ということだ。実際に支援する方は相当大変。うまくいかなくても諦めてはいけない。

ただ支援を求めるだけでなく、支援者側の視点に立ってみることも重要になります。支援者側もやはり大変だということを頭に入れておく必要があります。

支援者側にも注意が必要。それは最初からあまり気合を入れすぎないことだ。そうしないと、本来できることも放棄してしまう“アレルギー”が出てくるのではないか。明らかにおかしいルールは早く変えてほしいし、誰でも簡単にできることはすぐに実行してほしい。ただ、それ以外の問題は時間をかけて、みんなで工夫して合理的配慮を“育てていく”べきだと思う。

支援者側も「何かしてあげよう」と気合を入れすぎたりすることが、かえって障害がある人のプライドを傷つけてしまったりということもありえます。しかし、ちょっとした心遣いで嬉しくなる場面だってあります。簡単にできることは実行してくれると助かります。

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みんなで合理的配慮を育てていく、いい言葉です!!

合理的配慮は漢字だけで、一見難しそうな響きにも感じますが、みんなで協力していけばハードルは絶対低くなるはずです。HIFUMIYO TIMESでも、そんなちょっと難しそうな合理的配慮についてイラストで紹介しています。このように少しの配慮で、世界は変わるのです。

一番大切なのは、互いに意見を言って相談すること。支援者が一方的に考えても、当事者の望んでいることは違うかもしれない。障害の種類によっても分かることと、分からないことは違う。

お互いに相談をして分かり合うことこそが合理的配慮につながります。障害の種類によっても支援の方法も様々なので、ケースバイケースで考えていくことも大事です。

流王さんのエピソードは、僕が今まで直面してきた問題と重なる部分があり、とても共感できる内容でした。合理的配慮をただ求めたりするのではなく、障害者自身も含めみんなで「育てていく」というのは勉強になりました。

さあ、「合理的配慮」という木を皆さんで一緒に少しずつ大きく育てていきましょう。

via:山陽新聞社

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