私たちの住む九州 鹿児島県は、日本でも一位・二位を争う温泉県。全国から極上の湯を求め、日々観光客で賑わっている。地元の小さな温泉ですら源泉掛け流しの贅沢な泉質のお湯も多く、「毎日温泉に通っている」という県民も多い。
ところで、温泉で女湯に母親と一緒に男児が入ってもいい年齢というのは一体、何歳だろうか。
女湯に入っている時、男児ではなく「男子」が入ってきてドキッとした。こんな経験がある女性も多いのではないだろうか。この件について、ネット上で、以下の投稿が話題になったそうだ。
夏休みに温泉に行ってきた。
旅館の料理はとても美味しくて、観光地も想像以上に楽しくて満足な旅行だったのだけど、ひとつ不満が残っている。
旅館の大浴場(女湯)に男児が入ってきたことだ。
男児といっても小さな子供ではなく、声変わりの済んだ小学校高学年らしき少年だった。
母親らしき女性と2人で入ってきたのだが、小学生なんてひとりで風呂に入れるだろうに、何故他の女性客もいる女湯に連れてくるんだ。
私は入湯してからまだ5分ほどだったが、気持ち悪いのですぐにあがってしまった。
本当は母親の方に非常識ではないかと声をかけたかったのだが、家族水入らずの旅行に水を差すような真似はできなかった。
小さな子供なら微笑ましく見ていられるが、小学校高学年男児を受け入れることはできない。これは、私が自意識過剰だったのか?
障害を持っていてひとりで風呂に入れなかったのだろうか。それなら、父親は何をしているんだ?
どうしても母親なしで風呂に入れないのなら有料の貸切風呂があるだろう。そちらを使えばいいのに。
旅館も旅館で、何歳まで男児や女児が女湯、男湯に入っていいのかを明記していない。そもそも大浴場の入口に従業員がいないので確認もできない。
【話題】「女湯に小学生男児」は非常識!? 年齢だけで解決できない理由: 私は旅行先の温泉宿で4年生の息子を女風呂に連れて行ったとき、 入り口で「ご遠慮ください」と注意されたことがあります。 息子は知的遅れのある自閉症です。 https://t.co/lPnIgKvFhL #温泉
— 温泉研究家 (@onsen_info) August 25, 2016
この問題については、年齢設定の考え方が各県でバラバラで、
6歳以下……京都府
7歳以下……愛知県/滋賀県/鳥取県/宮崎県/熊本県
9歳以下……青森県/宮城県/秋田県/茨城県/群馬県/埼玉県/東 京都/神奈川県/富山県/石川県/福井県/山梨県/長野県/静岡 県/三重県/和歌山県/岡山県/徳島県/愛媛県/高知県/福岡県 /大分県/長崎県/鹿児島県/沖縄県/
北海道・岩手県・山形県・栃木県・岐阜県・ 香川県では上限年齢を最大11歳(小学5、6年生)に設定。また、 家族風呂に対しても各都道府県によって例外条件などが設けられているようです。
とある。このような規定のあり方ではやはり「男が女湯に入ってきた!」というようなトラブルが起こってしまうこともあるだろう。
温泉にて すごい視線を感じたので見てみるとダウン症の男子が凝視している。
男児ではなく男子
障害者の年齢制限とかどうなっているのだろう— ハイジ@ (@blackhaidi) January 7, 2016
他にも問題は山積みになっている。
温泉旅館でも銭湯でも子連れの人が「この子は○○歳です 」 という身分証明書をいちいち入り口で見せるわけではありません。
遊園地のジェットコースターのように身長120cm以上の人と背丈で決められている訳でもありません。
実年齢は7歳でも小学校高学年くらいに見える子もいます。
障害児もLGBTの子どももいます。
そんな中、見た目で「何となくの常識」というものがあり、 人により捉え方が異なることがトラブルの元になっているのです。
性同一性障害。
体が男性,心は女性の人が女子用トイレ使用を要望。
銭湯は?、温泉は?
よく女装癖のある人がトイレ,銭湯に入り痴漢として逮捕されていた事件は性同一性障害だったのかな?
裸になる公共の場所,トイレは戸籍上の姓で区切るしか無いのでは? とくダネ フジテレビ— Mark (@greenfieldlane) December 21, 2015
https://twitter.com/my963/status/678933538884837376
このように画一化が難しい状況下では、障害児やLGBTの子供を持つ母親や、更にシングルマザーであったりすると、対応に大変困るであろう。
息子が知的障害を持っている母親は、その息子が高校生になった今でも知能的には幼児であるが故に、対応策として、温泉に行く際は家族風呂の貸切がある宿を選んだり、子供が1人で公衆浴場を使うための練習をさせるなどしたそうだが、それにも限界があったようだ。
だからといって「障害者だから許してください」という訳にもいかない。
やはり、世の中には、見た目からは分からない事情を抱えた人がいる。
それによって、日常的に制限を受けた状態で生活している人々も多いはずだ。
そんな人々に対する配慮が浸透していき、不安や疑問を抱えたまま生活をする人が減ることによって、障害者も健常者も、互いにより良い生活が送れるようになるのではないだろうか。
http://anond.hatelabo.jp/20160815142746
http://news.livedoor.com/article/detail/11932464/
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