弁当の準備で疲弊する母の愛情を子どもは望まない
男女共同参画社会の気運が高まるにつれ、共働き世帯が増加するなど、夫婦のライフスタイルは変化しつつあります。なかでも、子育てにおける男女の対等意識は高まりを見せています。子どもへの食事の準備は大きなテーマで、幼稚園に通う小さな子どもを持つ親にとって、毎日のお弁当づくりは大きな負担ともなっています。
園によっては、業者が出す日替わりの弁当を利用するところもあります。このサービスは、昼食時の子どもの栄養の偏りを防ぐためにも、ありがたいサービスと言えるでしょう。
日本では古くから、手間ひまかけて弁当を作り、それを子どもに持たせることが親の愛情を示す指標として特別視されてきた歴史があります。子どもに弁当を作る手間を惜しんで、代金を払って業者の弁当を注文する母親は「ひどい」存在なのでしょうか?
#ワイドナショー これは横浜市は幻想を抱きすぎ。きょうびこれだけ家族の形が多様化して共働きが多く母子家庭や父子家庭も増えてる中で「母親の手作り弁当で子は育つ」みたいなのはズレすぎてるし負担でしかない。形を守ろうとして冷食ばっかり詰め込んだものを持たせるなら温かい給食のがずっといい pic.twitter.com/kHtlGiR7NE
— とらもも (@toramomo_tweet) 2017年8月6日
今年から長男次男の弁当2つになっても、あまり負担ないとか思ってたけどやっぱ大変。給食ってありがたいなぁ。うちの母は毎日3人分の弁当用意。弁当ない日はお昼作っておいてあったな。土日はずっと寝てたけど、仕事して家事して3人子供いて、大変だっただろうな。
— KUMIX (@Kumix8Y) 2018年7月23日
ざっくり
愛情弁当という神話
いったいどれだけの母親が、子どもへの毎日の弁当を、余裕のある愛情いっぱいの心で作ることができているのでしょう?
現代の日本人夫婦は、多くが何らかの仕事を抱えています。夫は外で働き妻は家を守るといった古い夫婦像はすでに崩れているのです。
夫婦のかたち、昭和40年代と今
所得倍増計画が実現し、高度経済成長の最中にあった昭和40年代から50年代は、男は外で働き女は家事を担当するといった図式が主流となっていました。愛情弁当という文化はそんな時代の産物で、現在普及している雇用形態や夫婦の役割分担の中では実現の難しくなった、単なる理想像になりつつあります。
弁当の本来の目的
弁当の持つ役割にも色々ありますが、食費を節約するといった側面も強いのではないでしょうか。子どもへの弁当には、それに加え親からの愛情が期待されるという図式になっているようです。
しかし、何年も延々と続くことが暗黙の決まりとなっているような毎朝の弁当作りを、作り手の親自身が苦痛に感じているのなら、その労働に愛情を注ぐ余裕など持てないでしょう。まして、弁当は本来、そんな気持ちを抱えたまま作るようなものではありません。
私の母は毎回手の込んだ弁当を作ってくれましたが、私にはそれが負担でした。手作りこそ最高!と思っている母親でいつも押し付けがましくて、息苦しかった。忙しい時はお金だけ渡されていたけど、自分の好きな物をコンビニで買える方が凄く嬉しかった。
その子がどうかは知りませんが、ご参考まで。— あずみ🍤🦐💃 (@bluevitriol4) 2018年9月16日
中学の給食問題、横浜市の「愛情弁当」論にゾッとした。確かに母の作った弁当に愛情を感じることはあると思うけど…親の負担は相当なものだし、栄養面でも偏りが出てくる。#TVタックル
— チロルン (@chirorunrun22) 2015年5月4日
労力の置き場所が違うだけ
子ども自身は、母親にいったい何を期待しているのでしょう。おいしいご飯やお弁当を作ってくれることも確かに子どもの望むことでしょうが、それらがそれほど大きな部分を占めるわけではないでしょう。
お弁当以外の愛情
そのために、母親が毎朝眠気をこらえ暗いうちから台所の明かりをつけ水道を流しコンロにフライパンを乗せる、その乾いた金属音を聞き続けなければならないとしたら、それはそれでそちらのほうが子どもにとって苦痛なのではないでしょうか。
家族のために外に働きに出る親に、自分への弁当を準備する時間がないことぐらい、子どもなら説明されなくても分かるでしょう。そういう背景があればなおさら、食事用に現金を渡されることでさえ嫌だと思う子どもなど、現実にはほとんどいないだろうと思います。
土曜日の午後の思い出
私がまだ小学生で、日本にまだ週休二日制の文化が無かったころ、土曜日の授業は「半どん」と呼ばれ午前だけで終了していました。昼の12時、あるいはそれ以上早く下校が始まるので私の帰宅は12時ぐらいでした。
両親ともに働きに出ていたので、土曜日の昼ごはんは自分でコンロに火をつけて袋麺のインスタントラーメンを調理することになっていました。今では理由も思い出せないのですが、なぜだかそれが私には楽しみな時間でした。自分一人でテレビのチャンネルも独占して、食べる時間も自由、行儀も適当でOKな解放感を楽しむことができたからかもしれません。親からの愛情が不足していると思ったことは、ただの一度もありません。
町田市は中学校の給食がないっていうのは引っ越してきて残念に思ったことの一つ。子供のことを考えて美味しいお弁当作ってあげるのは愛情だとは思うけど、正直働く母にとって毎朝栄養考えたお弁当を作るのは負担です。選択式の弁当を頼むのが嫌なのもわかるしな…。
— piano725 (@piano_kuroiinu) 2017年12月22日
子どもの幸せは親の幸せから
母親の手作り弁当を愛情の証ととらえる文化は、むしろ大人が作ってきたものではないでしょうか?親が作ってくれた弁当ももちろん嬉しいでしょうが、園や学校など施設で出される業者による給食を嫌だと思うことなど無いと思っていいでしょう。
母の労働は家事ばかりではない
早朝から手作り弁当を準備できないからといって、その親が手を抜いているわけではありません。その時間と労力のぶん子どもの生活を豊かなものにするため外で働き、子どもの生活費、教育費、医療費、食費など、健やかに育てるためのすべての費用を生産しているのです。
子どもは分かっている
子どもの弁当を準備しない母親は、必然性があって弁当を作る代わりに外で働いています。子どもへの母の愛情が、まるで食事を準備することですべてであるかのような風潮は異常にも思えます。
子どもの将来の可能性を経済的に支援するという形での親の愛情が存在します。その懸命な姿は、弁当を作らない文化の「正当性」さえ証明してくれるはずです。無駄のない金銭的問題解決は、親自身の人生の多様性さえ豊かなものにしてくれるでしょう。
親自身の人生の可能性と選択肢まで、弁当を作るか作らないかということなどで狭められるなんてイヤじゃないですか。
インターネット上にも書店にも、カラフルでかわいいお弁当の見本写真があふれています。しかしそれらが、仕事を持つ親たちがこなすべき当然のスキルであるかのように思う必要はさらさらありません。
家事でなくても外に働きに出ることでも、自分にできる精一杯の仕事でわが子を愛そうとする親の姿が、何よりも愛情にあふれる子どもへの心の栄養になるはずだからです。
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