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2024/12/10:フリーペーパーvol.105発刊!

ボッチャをする為に生まれてきた。ボッチャは人生そのもの

最強王国不動のエース「WHO I AM」
ワッチャラポン・ヴォンサー
(タイ / ボッチャ)

TOKYO2020まで続く、世界最高峰のパラアスリートに迫るパラリンピック・ドキュメンタリーシリーズ「WHO I AM」。シーズン3、5人目のアスリートはボッチャ王国タイ・不動のエースであるワッチャラポン・ヴォンサー選手です。

彼には脳に機能障害があります。手や足が自由には動きません。以前はこの運命を受け入れられずにいたといいます。でも、ボッチャと出会ったことでヴォンサー選手は、初めて希望を感じたそうです。

ボッチャとの出会い

ボッチャを初めてやった瞬間、自分に合っているスポーツだと実感したヴォンサー。11歳でのボッチャとの出会いが彼の人生を充実したものに変えていきました。

ボッチャ(Boccia)とは

ミリ単位の攻防戦、ボッチャ。
赤と青のボールを持つ対戦相手同士が、白いボール(ジャックボール)にどれだけ多く近づけることができるかを競い合う競技です。

ボッチャは、ヨーロッパ生まれの重度脳性麻痺者や同程度の四肢重度機能障がい者のために考案されたパラスポーツです。テクニックとともに頭脳戦を楽しむ競技でもあります。ボッチャはイタリア語でボールを意味します。

脳性麻痺(Cerebral Palsy)とは

ヴォンサーは生後7ヶ月で脳性麻痺と診断されました。脳性麻痺とは、妊娠中から生後1ヶ月の間に赤ちゃんに起こった、脳損傷が原因の運動麻痺となった場合をいいます。彼は逆子で難産でした。酸素が脳に行き渡らなくなり、手や足に障がいが残ったそうです。

運動会でボッチャと出会う

10歳で特別支援学校に入ったヴォンサー。11歳の時、学校の運動会でボッチャと出会います。初めてボッチャをやった瞬間、僕に合っている競技と確信したそうです。その年、タイ国内で行われた少年チャンピオンシップに出場し頭角をあらわすと、16歳でタイ代表に選出されるまでになりました。

国際舞台へ

2010年のアジア・太平洋地域の国際大会で金メダルを獲得してから、ヴォンサーは世界の第一線で活躍していくことになります。初めてのパラリンピックは、2012年ロンドンパラリンピックでした。

ロンドンパラリンピック 団体金

22歳で初めて出場したロンドンパラリンピック。BC1/2団体(BC1クラスとBC2クラスの選手3名で構成される団体戦。BC1は、アシスタントに車椅子の操作、ボールを渡してもらうなどサポートをしてもらえるクラス。BC2は、上肢での車椅子操作がある程度可能なクラス)に出場したヴォンサーはタイの金メダル獲得に貢献します。2年後の2014年、世界選手権でも団体戦で金メダルに輝きました。

リオパラリンピックでは2冠

ロンドンから4年後、26歳で迎えたリオパラリンピックでは、個人戦(BC2)と団体戦(BC1/2)に出場しました。個人戦では、チームメイトのタイ選手に5-4で競り勝ち金メダル、団体では日本を9-4で破り、こちらも金メダルを獲得して2冠達成。タイチームとしてもリオ大会はパラリンピック史上最多の5個のメダルを獲得し、ボッチャ最強王国といわれるようになりました。

TOKYO2020でも世界王者は譲らない!

ボッチャ最強王国タイの不動のエース、ワッチャラポン・ヴォンサー選手は、TOKYO2020でももちろん世界王者に狙いを定めています。2大会連続2冠を目指しています。

BC1/2団体戦決勝は、タイ vs 日本。BC2個人戦決勝は、ワッチャラポン・ヴォンサー選手 vs 杉村英孝選手になることでしょう。タイの不動のエース vs 雪辱に燃える火の玉ジャパン。満員の有明体操競技場での熱い戦い、ぜひ観たいですね。

ボッチャと出会って、人生で初めて希望を感じ、ボッチャは自分の人生そのものと言い切るワッチャラポン・ヴォンサー選手。彼の信念は「絶対に諦めない!」。覚悟をもった彼の生き様かっこいいです!

※ 「パラリンピック・ドキュメンタリー・シリーズ WHO I AM ボッチャ最強王国のエース:ワッチャラポン・ヴォンサー」は、11月22日(木)よる10:00(再放送は11月25日(日)午後0:00)にWOWOWプライムにて放送予定となっています。

via:WOWOW

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