うちの母親は口癖で衣類のサイズを「M寸、L寸」って言う
さまざまな例がありますが、およそ自分より20〜30年昔に生まれた人、それが母親。生きる時代が自分より少し昔ですから、言葉の感覚にも若干のズレがあります。
そのズレが生み出すわずかに違和感のともなう母の表現を、すこしずつ探っていきたいと思います。
Mサイズ、Lサイズとは言わない
洋服のサイズのことを、通常、Sサイズ、Mサイズ、Lサイズ、または単にS、M、Lの洋服、などと呼びます。
母は「サイズ」の部分を「寸(すん)」と呼ぶクセがあって
「あんた、M寸(エムすん)は小さいでしょう、L寸(エルすん)を着らんねー(訳:L寸を着なさいよ)」
と、よく言っていました。
でもなぜか、「S寸(エスすん)」とは絶対に言いませんでしたね。
私が身体が大きく人生でSを着ることがほぼ無かったために、まだ小中学生の私に対してSサイズに関する話題を振る機会がなかったからかもしれません。
その他の母語
「じー」と焼く、というものがありました。
「(フライパンに)ハムを2枚ぐらい敷いてね、じーと焼くのよ」
などと使います。意味は分かるのですが、子どもながら
「じー、と焼いたくらいじゃ火が通らないよ、もっと焼かないと危ないのに」
と思ったものです。
母が口癖のように使っていた言葉
「テーブル」は「お膳」、「布巾」は「台拭き」、「台所」は「炊事場」、「トイレ」は「お便所」
便所に「お」を付ければ丁寧になるというものでもないだろうと思ったものです。
「炊飯器」は「ジャー」、「食器棚」は「みずや」、その他にもたくさんあったはずですが、私が子どもで母が若かった時代というのはもう何十年も昔のことで、私自身が齢をとってはっきりと全部は覚えていないのです。
母の書道の先生(九十歳)が、「最近の連中は『絆』という言葉をやたらといいことみたいに使うけど、あれは元々馬の首につけて何処にも逃げられないようにした鎖を意味する言葉なんだよ、気味が悪いね」と言っていたと聞き、嫌な感じがしてずっと使いたくなかった理由が、やっとわかったような気がした
— 岩槻優佑 (@yuu_iwatsuki) 2018年8月20日
言葉は作られない、生まれる
言葉に、1つの決まった正解などありません。とくに、M寸、L寸などは、肝心なMやLというアルファベットが入っていますから、意味は十分に伝わります。
もし言葉に正解があるとすれば、それはその表現が多数派になったときを指すのかもしれません。
間違った表現とされてきた言葉も、日常的に使われる例が過半数になった時に「誤用法」は「許容範囲」へと生まれ変わるのではないでしょうか。
言葉は道具ですが、外国人から「話し言葉が歌のよう」と称されるほど、日本語は芸術性の高い言語です。
母は学歴的にも趣味や読書という点から見ても、学のある人間ではありませんが、その人を見ていると「教育に害されていない人間が本能的に言葉を編み出す過程」が、独特の語い選びから顕示されているかのようにさえ、見えてくるのです。