「自宅出産とか水中出産なんてものは言語道断だ。日本の周産期死亡率が世界一の低さを誇っているのは、専門的な医学的管理のもとでの出産を行ってきたから。非科学的な出産で母児の命が失われることは許されない!」
コウノドリ3巻より引用(鈴ノ木ユウ・講談社)
僕は医学生時代、産婦人科の講義で上記のような言葉を繰り返し聞いていた。産科医がいない場所で行われる分娩に対する「悪い」のイメージは、僕の脳内に当然のようにこびりついた。
卒後10年以上経っても変わらずそのイメージを持ち続けていたある日、2人の友人(非医療関係者)が「病院」ではなく「助産院」で出産した。
「大学でボロクソ言われてた『あれ』か・・あまり関わりたくないな」
これが正直なところの感想だった。「悪い」イメージを刷り込まれていた僕は、彼らと会っても、この話題を避けるようになった。
「助産院」に対する僕のその時の知識といえば、「医師による専門的な医学管理のもとでのお産ではなく、助産師さん、昔で言う産婆さんが、自宅の畳の上で赤ちゃんを取り上げるような昔風のお産なのだろう」と言うくらいの浅はかなものだった。よく調べもせずにこんなことを思っていたのだから、今考えれば全く真摯な態度ではない。反省しなければいけない。
しかし友人2人は僕を放っておいてくれなかった。事あるごとに僕を巻き込もうとするのだ。「助産院の移転のためにクラウドファンディングするから手伝ってくれ」、とか、「助産院がプレゼン大会にでるから手伝ってくれ」とか。
おそらく「医師だからお産のことは分かってくれるだろう」、、さらにいえば「医療崩壊のすすめとか言って、医療否定の先陣を切っている先生だから、病院以外の医療(分娩)にも理解があるだろう」という意図があったに違いない。
断っておくが、僕は「医療を否定」しているわけではない。国民の健康と幸せな人生に貢献するような医療は、どんな犠牲を払っても守るべきだと思っている。かの超高額抗がん剤・オプジーボだって、本当にガンが治って副作用も少ないのであればどんなに高くても国が保険適用すべきだと思っている。(意外にそんな夢の薬でもなさそうな雰囲気だが・・)
ま、・・なんだかんだと僕はいろいろと巻き込まれていき、結果「助産院」というものが何なのか、どういうところなのか、を知ることになるのである。結論から言おう。「助産院での出産は非科学的で危険」というイメージは少なくともこの助産院に限って言えば間違いだった。いや、逆にそこは、キュアの精神とケアの精神が絶妙なバランスで存在する、まさにこれからの医療の未来を具現化している素晴らしい世界だった。圧倒的にこちらが勉強させていただいたと言っても過言ではない。
今回は、その「鹿児島中央助産院」北村愛院長のインタビューを通して、僕がそう考えるに至った過程と理由を、詳らかにしたいと思う。
北村 愛 さん(鹿児島中央助産院 院長)
助産師経験20年以上、取り上げた赤ちゃんは1000人を超えるベテラン助産師さん。産科病院に10年勤務し毎日のように赤ちゃんを取り上げる激務をこなしたのち、看護大学で6年間看護教育に携わる。その後、青年海外協力隊(JICA)として行ったラオスでは、それまで当たり前だった医学管理下の出産とはあまりにも違うナチュラルな分娩事情に圧倒された。彼女はここで人生の大きな分岐点を迎える。帰国後は、鹿児島中央助産院の院長として、自然に近い状態でのお産に「寄り添う」ことを心がけている。
森田「まず、助産院というところはどんなところなのでしょうか。」
北村「助産院(法的には『助産所』)は、医師ではなく『助産師』が妊婦さん・赤ちゃん、さらにはご家族に寄り添って助産(分娩の手助け)をする場所です。また、分娩だけでなく、妊娠初期からの妊婦健診や産後の新生児の保健指導などを通して継続的な個別ケアも行います。当院では特に、妊婦さんと赤ちゃんが持っている「自然に産む力」「自然に産まれる力」を最大限に引き出す様なイメージのお産を大事にしています。」
森田「なるほど、自然な分娩というと、リスクも伴うようなイメージがありますが・・。安全性の面はどうでしょうか。助産院での事故率などのデータは有りますか?」
北村「そうですね。私が入職した平成23年から現在までの6年間でいえば、出生数はを399件、そのうち、お産前後期間(周産期)の医療機関への紹介・搬送件数は26件で全体の7%(「切迫早産」「妊娠糖尿病」「妊娠高血圧症候群」など、妊娠経過中の紹介事例は除く)、そのうち搬送先で帝王切開になったのは4件(1%)です。ただこれは予定日超過など、ルールとして医療機関での分娩が規定されているので仕方なくという例が多く、いわゆる緊急事態で病院へ搬送!と言う例は殆どありません。」
森田「なるほど、しっかりと医療機関と連携して紹介・搬送もされるのですね。死亡事例もないのですか?」
北村「私が勤務してからのこの6年間ではありません。0件です。訴訟になった事例もありません。」
森田「それは自院だけでなく搬送先の病院で死亡した例もない、ということですか?」
北村「もちろん搬送先でどうなったかの情報も把握していますので、搬送先の病院まで含めて母子ともに死亡事例はありません。」
森田「そうなんですね!日本の周産期死亡率は0.37%(厚労省「我が国の人口動態」 http://www.mhlw.go.jp/toukei/list/dl/81-1a2.pdf)です。不吉な例えで申し訳ないですが、たとえ今1例の死亡がでたとしてもこの6年で死亡率は0.25%ですから、全国の数字と比較してもまったく遜色ない数字ですね。」
北村「もちろん、助産院での分娩は『正常分娩』に限られていますので、全ての分娩を含む全国の数字と比較するのは難しいと思います。」
森田「なるほど。正直なところ、いろいろなイメージが先行していたためか、もっと事故などが多いような印象でした。しっかりと医療機関と連携していることも大きな要因なのでしょうか。」
北村「それは非常に大きいと思います。嘱託医(産科医)や緊急搬送出来る医療機関の方々のお陰で私たちは安心して「正常分娩」に寄り添うことだ出来ます。そもそも「助産所」というところは、法的な部分で言うと「医療介入が出来ない(緊急時を除く)」施設です。だからこそ、嘱託医や緊急搬送出来る医療機関のとの連携も義務付けられているのです。」
森田「なるほど、「医療介入が出来ない」んですね。ちなみに医療介入って言うのは具体的にどんなことでしょうか?」
北村「帝王切開はもちろん、陣痛促進剤の使用による分娩も出来ません。また会陰切開・吸引分娩も出来ません。」
森田「では、全く医療機器を使わないのですか?」
北村「いえ、そんなことはありません。妊婦健診ではエコーも使います。羊水量や赤ちゃんの心拍・骨の長さなど、正常な妊娠経過であることを確認するのにとても大事です。また、分娩時はドップラー(胎児心音聴取用)や分娩監視装置なども使います。もちろん、パルスオキシメーター、経皮黄疸計なども使いながら、妊娠と分娩の経過をしっかりと観察していきます。」
妊婦健診用エコー
ドップラー(胎児心音聴取用)
新生児黄疸を検査する「経皮黄疸計」
森田「『自然な分娩』という言葉のイメージからは、『医療機器を使わないようなお産』をイメージしがちですが、決してそうではないのですね。」
北村「分娩に有用で、自然な分娩の妨げにならない機器なら、それはもちろん使います。ただ、だからといって、当院では医療機器に頼り切ることを良しとはしていません。お母さんのお腹に巻きつける「分娩監視装置」は、継続的に状態を見るのにとても有用ですが、お母さんの体位はどうしても制限されてしまいます。それなら、私達がお母さんにずっと寄り添って、継続的にドプラーで心音を見ていればいいのです。」
森田「分娩時は、お母さんにずっと寄り添うのですか?」
北村「そうです。何時間でも、時には24時間でもずっと寄り添います。そういう意味では、病院のお産とは「ケアの量も質」も大きく違うと思います。大事なのは「母児の産む力・産まれる力」を最大限に引き出すこと。そのために、安心できる、リラックスできる環境を作ること、そしてそれに寄り添うことです。たとえば、お産をする場所や姿勢などの環境要因はとても重要です。わずかな緊張でも、子宮口は閉じてしまいます。本当にリラックス出来て、信頼できる人がそばにいて、出来れば部屋も暗く、自由な体勢をとれること。こうした『安心できる、リラックスできる環境を整える』ということは、私がかつて勤務していた病院医療ではさほど重視されていませんでしたが、本当はとても大切なことだと感じています。」
森田「なるほど、医療機器は使うけれど、それが全てではないということですね。」
北村「そうですね。分娩時には医療機器もとても大事なツールですが、それとは別に大事なこともあります。たとえばアドレナリンの分泌を出来るだけ抑えること。お母さんが精神的に興奮すると子宮口も閉じてしまいます。そうならないためにリラックスできる環境を用意するのです。また分娩時はオキシトシンというホルモンが脳内から放出されて子宮から赤ちゃんを押し出すと同時に子宮口を開き、出産に至りますが、リラックスできる環境を整えることで、オキシトシンも分泌されやすいことが医学的にも言われています。」
森田「たしかにみんながバタバタしてる場所で分娩台に載せられてもリラックスはできないような気もします。分娩時の姿勢はフリースタイルでも問題ない、ということについては医学的エビデンスがあるようですね(エビデンスに基づく助産ガイドライン 2012, p.34
http://square.umin.ac.jp/jam/docs/ebm_guideline_childbirth2012.pdf) 。」
北村「動物は、安心して落ち着ける暗い場所で出産します。人間も動物なんです。明るい場所や、広くて色んな人がバタバタと出入りするような場所では陣痛は弱くなり、お産は進みにくくなります。赤ちゃんは『産まれる力』を持っています。自分で産まれるタイミングを見計らって、お母さんの陣痛を促して産まれてくるのです。そもそも助産院のお産では『陣痛促進剤』は使えませんが、そうしたリラックスできてしっかりとオキシトシンが分泌されるような環境があれば、胎児心音も安定したまま、『陣痛促進剤』を使いたくなるような場面には殆ど出会わなくなるのです。私もかつて病院勤務だった頃は『陣痛促進剤を使う分娩』に慣れていたので、この差には本当に驚いています。」
森田「陣痛促進剤も出番がないんですか。」
北村「病院での分娩では必要なときもあるでしょうが、当助産院ではそうしたことは殆どありません。この差はもちろん、助産院が『正常分娩』のみを取り上げている、ということもあるでしょうが、同時に『ケアの質と量』の差もあるのではないかと思います。私達助産師は妊婦さんとよい関係性を保つこと、信頼してもらえる関係になることをとても重視しています。だから妊娠・出産に対する不安をじっくりと傾聴するのは当然、産後の子育てのこと、家族関係のこと、プライベートのこと、なんでも相談に乗ります。産後何年たっても『里帰り』といって当院に帰って来てくれる方もおられます。なので、今よく言われている『産後うつ』も、ここで出産したお母さんには殆どありません。そういう信頼関係が構築された上で、出産に臨めるというのは、環境要因としても非常に良いことだと思います。」
助産院へ産後の「里帰り」をしてくれたご家族と北村さん。
森田「なるほど…。僕は胃カメラをするのですが、胃カメラのときの『麻酔(抗不安薬)の注射』と、『看護師さんの背中をさする手』の関係に似ている気がします。もちろん、ゲーゲーと嘔吐反射が激しく麻酔を使ったほうがいい人も確実に一定数おられます。ですが僕の経験上、胃カメラ中に優しく背中をさすってくれる看護師さんの手のぬくもりとか、医者が落ち着いた口調で『いま胃袋ですよ。・・あと空気抜いたら終わりですよ。』などと現状と予測をしっかり説明することで、多くの患者さんの不安が取れ、麻酔が必要なくなることも多いんですよね。そうすると胃カメラ中のノドも開いてくれる様な印象があります。子宮口も同じかもしれませんね。」
北村「そうなんですね。少し似ているかもしれませんね(笑)」
森田「それでは、最後に一言どうぞ。」
北村「お産は女性と赤ちゃん、家族にとって大きな出来事です。自分と子どもの力を信じ、女性のもつ生理機能が存分に発揮されたときのお産は、母子の絆を深め、自然に対する畏敬の念が生まれるなど人生観や価値観の変化を体験する大きな機会になります。わたしが助産院のケアに引き寄せられた理由はいくつもあるのですが、衝撃を受けたのは、産後入院中のお母さんたちの表情です。病院時代にたくさん見てきた産後とはあまりに違い、穏やかで疲れていなくて…。私はこの表情を見たくて、この仕事を続けているのかもしれません。
今でも病院勤務の助産師や産科医から『助産院での出産には抵抗がある』という声を聞きます。実は、助産院を作るときの一番のハードルは『連携してくれる産科医を見つけること』なのです。まだまだ誤解されている部分があると思います。でも、正常分娩は病気ではありません。医療従事者の方々に、もっと『助産院』と言うものを知ってほしい。もっともっといい意味での『自然なお産』や『産前産後の継続したケア』の重要性が認知されて欲しいと思っています。」
助産院で産前産後の継続したケアを受け、自然な『産まれる力』でお産をした母子。
現代医学の進歩は目ざましい。その「進歩し続ける医学」を追い求めることは、我々医師の義務と言っても過言ではないだろう。しかし、その膨大な医学知識・医療技術の大半は、「検査査技術」や「治療法」など『キュア』の世界のものである。僕が受けた大学の医学教育でも、その殆どは「キュア」の世界から一歩もでないものだった。
その一方で医療の現場には、我々医師が得意としない、殆ど習得せずに来てしまった『ケア』の世界も厳然として存在する。分娩に対し、精神的に身体的に『寄り添う』助産師さんの存在や、胃カメラ時に背中をさする看護師さんの手は、間違いなく「ケア」の世界のものである。
それらの存在を…もしかしたら僕らは心のなかで下に見てしまっていたのかもしれない。冒頭の『医学管理が最優先、それ以外のお産は認めない!』という発言も、それを素直に受け入れていた僕の意識にも、おそらくその根底にはそんな『奢り』があったのではないだろうか。
コウノドリ3巻より引用(鈴ノ木ユウ・講談社)
そして、これはよく誤解されるところではあるが、
「キュア」と「ケア」は水と油ではない。
両者は医療の現場で上手に混在出来る。
コウノドリ3巻より引用(鈴ノ木ユウ・講談社)
そう、「ケア」には「キュア」 が必要だし、「キュア」には「ケア」が必要なのだ。「キュア」だけしかない世界も不自然だし、「ケア」だけしかない世界も不自然。両者が常に混在し、上も下もなく補完しあっている関係。真に「国民のための医療」の形とはそんなものなのではないだろうか。それが「キュア」だろうが「ケア」だろうが、国民にとっては関係ないことなのだから。
そうした『キュアとケアが上手に混在している世界』それが『医療機関と連携を密にした助産院』なのではないか…。北村さんのお話から僕は、そんなことを考えさせられた…。
こんな僕の考え方、今の医療の常識から考えると少し突飛かもしれないが……
皆さんはどう思われるだろうか。
医療崩壊のすすめ?
財政破綻により病院がなくなってしまった夕張市、
しかも高齢化率は市として日本一。
果たして夕張市民の命はどうなってしまうのか?‥。
しかし財政破綻後のデータは、夕張市民に健康被害が
出ていないことを示していた。
事実、夕張市民は笑顔で生活していた。
「病院がなくなっても市民は幸せに暮らせる! 」
それが事実なら、それはなぜなのか?
本書は、その要因について、先生(元夕張市立診療所所長)と
生徒2人の講義形式でわかりやすく検証してゆく。
夕張・日本・世界の様々なデータを鳥の目で俯瞰し、
また夕張の患者さんの物語を虫の目で聴取するうちに3人は、
夕張市民が達成した奇蹟と、その秘密を知ることとなる・・。
少子高齢化や財政赤字で先行きが不透明な日本。
本書は、医学的・経済学的な見地から
医療・介護・地域社会の問題を鮮やかに描き出し、
日本の明るい未来への処方箋を提示する希望の書である。
森田洋之 著
森田 洋之
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