季節は冬。
春の新入学生を選抜する入学試験は、各学校で12月、1月くらいから開始されます。
複数の国公私立学校を併願する多くの中学、高校、大学などの受験生は、この時期から勉強時間を十分に取る暇もなくなり、連続して何校もの受験に挑むことになります。
さっきマックで女子高生が、「マック店員は60秒でハンバーガー用意できなくても無料券を付けてもう一個ハンバーガー渡せばいいから楽でいいよな。私らなんて60分で正答を用意できなかったら受験期間がもれなくもう一年付いてくるんだぜ」って言っててマックシェイク吹いた。
— 社会のすきまから (@sukima_syakai) 2017年12月9日
何校受けても入学するのは1校だけ
受験日時さえ重ならなければ、私立学校であれば複数校を併願できます。
一方、国公立の場合は日程が重なって自由な併願は難しく、特に国公立大学の場合、センター試験から始まる日程が例年決まっていて、併願は事実上2校や3校までとなっています。
受験生によっては10校以上の併願に挑み、努力が実って10校に合格する場合もあるでしょう。
しかし、身体は1つしかありません。
どれだけ多くの合格を手にしても、進学できるのは1校です。
おそらく、受験生の多くはあらかじめ受験する学校の優先順位を決めていて、合格した学校の中から自分の決めた序列に従って進学先を選ぶはずです。
私の時代は偏差値が基準でしたが、今はもっと選択基準に多様性があるように思います。
受験は結果ではなく、過程が一番大切なんだ。とか、そこまでの実績もないのに、過剰なまでに授業数を組んでいるのを見聞きすると、『とりあえず【受験指導】という看板は外せよ。』と思ってしまう。
— 塾長⊿ (@lmns_tpz) 2017年12月9日
結果のために必要とされる考え方
受験校を決定し、受験勉強するとき、常に心に留めておくべきことは、「結果を意識して学習する」ということです。合格するには今どうすればいいのか?常に考えながら学習しましょう。
要するに「点数」を取るための勉強を意識するということです。
私はかつて、勉強「だけ」ずば抜けて得意な、当時でいう優等生でした。
一番勉強したのが中学2年生から中学3年生まで準備した高校入試の受験です。
平日学校での授業を6時間済ますと帰宅してすぐ塾に向かい、授業前の空いている教室で自習し、19時から塾の授業を50分2コマ受けます。終わると質問があれば先生に質問し、帰宅後0時くらいまでは勉強していました。
休日は同じ時間数を、塾の部屋で自習していました。
そういう生活が中学3年生の夏休みくらいから始まりましたから、毎日13時間の勉強を8カ月くらい続けていたはずです。
一方、入試など多くの試験は、その場で出題されるたった1回のペーパーテストにおける正解数をもとに算出された点数だけが評価されます。
当たり前かもしれませんが、受験までの努力の量が評価されることは決してありません。
自称他称関係なく進学校を受験する中学生たちに送る言葉
「ここから先は地獄だぞ」— 新馬鈴(しんじゃが)💎807 (@GiluCoraHina817) 2017年12月9日
勉強できる者が必ずしも勝てない理由
その結果、私は第1志望の県立トップの進学校の入試で不合格となり、滑り止めとしていた地元私立高校の進学コースへ入学することとなりました。
当時の鹿児島県には5%枠入学制度というものがあり、県内あちこちに散らばっている成績優秀な中学生が、鹿児島市の進学校など人気校に集中するのを避けるため、鹿児島市以外の市町村からの鹿児島市内の公立高校への入学者は、合格者数全体の5%に抑えるという制度があったのです。
この制度は鹿児島市からその他の市町村の高校へ進学する際も同じ条件が課されましたが、そういった例は制度の本質からみてもほとんどありませんでした。
受験生は鹿児島市に住んでいる方が圧倒的に有利だったのです。
私は鹿児島市ではない過疎の地方に住んでいたため、その5%枠でしか鹿児島市内の県立トップの高校への挑戦は認められませんでした。
それでも、地元中学の先生から「5%内であっても合格するだろう」と言われるほどの成績を残していたし、目安とされる県の上位20位以内とされた順位も満たしていたため、自信を持って受験しましたが、結果は散々なものだったのです。
受験や試験制度、資格優先というのは人をダメにする。教育内容がその人の中に定着し活用できるようになるためには多くの時間が掛かり、経験の中で熟成されていくものだ。熟成されれば、教わった内容をイノベーションすることも可能になる。それを短期間で、教えた人間が裁断するとは、可能性の放棄。
— abi (@abibirdlake) 2017年12月9日
これから受験を迎える小中高生を中心として、少なくとも自分の頭で考えていただきたいことは「努力と結果は別」だということです。
身も蓋もない言い方かもしれませんが、努力はある程度結果に比例するものの、必ずしも正当に応えてくれるものではありません。
むしろ重要なのは「成果の出し方」だと思います。
例えば国語なら、各設問で必要とされる回答内容がどこまでなのか?範囲を察知し、不要なことは書かないことが重要です。
出題者が何を望んでいるか意識して答えることも大切です。
減点にならない程度の手抜きは、大量の試験を採点する採点官にはむしろ簡潔さと映ることでしょう。
また、進学校の上位数人を決めるような試験では、たった1点の差が運命を分けます。
おそらく、受験なんてどの受験生を合格者に選んでも、その後の学生生活を送るに不足する者などほとんどいないはずです。
試験制度は年々変わっていき、長く親しまれてきた大学入試センター試験も廃止が予定されています。
もちろん大量の努力は重要で、工夫やテクニックといったものは努力を土台にしてのみ成立するものです。
だから、それらの努力をムダにしないためにも、試験前は知識をファイリングしていつでもアウトプット出来る状態で臨んでください。
試験当日1週間前くらいからは、やみくもな猛勉強よりも蓄積された知識や思考過程の整理整頓に励んでください。紙に書き出してもいいです。
いろいろ注意することが多くて大変だと思いますが、当日は、これまで努力してきた自分に対してシビアになってください。新しく入学を希望するその学校からは、努力を積み重ねてきた過去に加えて、「今と未来」のあなたが、期待されているのです。
昔の話ですが。
生徒「受験勉強いつから始めればいいですか?」
ぼく「どうせやるなら今からやったほうがいいに決まっているよね?」
生徒「そうじゃなくて…」
ぼく「要するに『いつまでやらなくていいか』って聞きたいの?」この辺で泣かれたことがありまして
— プリントa.k.a.あおじる (@t2o_yama) 2017年12月9日