2017年9月30日付で、スズキ浜松アスリートクラブを退部し、10月1日からプロとしての第一歩を踏み出した、リオデジャネイロパラリンピック銀メダリストの陸上走り幅跳び(T42/切断など)山本篤選手。
走り幅跳びの選手としては、世界トップクラスの実力を持っているのは言うまでもなく、900日を切った東京パラリンピックでの金メダル獲得はもちろん視野に入っていると思います。
パラスノーボードに関しては、昨年2月から国内大会へ参戦、9月2日W杯に初出場。結果は6位。その後も日本代表として国際大会を転戦したことで国際パラリンピック委員会(IPC)招待枠で、スノーボード3人目の日本代表に選出されました。
なぜ、プロに?
パラ陸上選手として、実力・知名度ともに日本のトップである山本選手。このようなトップ選手がプロとして活動することで、後輩たちの選択肢が広がるのは言うまでもありません。
しかし、陸上選手として活動するならスズキ浜松アスリートクラブは、悪い環境ではなかったと思います。やはり、陸上選手として所属しているクラブなので、なかなかスノーボードへの挑戦は制限がかかって難しかったのではないかと思います。
プロとして個人で契約することで制限なく活動できることが、今の山本選手には一番大切なことだったのかもしれません。
走り幅跳びとスノーボードの二刀流はなぜ可能だった?
スノーボードは中学1年生の頃から行っていたといいます。高校2年生の時にバイク事故で左足を切断してからも趣味で続けていたそうです。
また、身体能力は障害を負う前、スポーツテストで垂直跳び1m超の記録を出すなど、5種目中4種目満点で文句なし。
走り幅跳びや100m走を行う際に使う筋肉はスノーボードの筋肉とほぼ同じ、と山本選手は語っており、3シーズンほど滑っていなかったけれども筋肉が衰えていなかったため対応できたとのことでした。
しかし、2017年7月のパラ陸上世界選手権を終えた後、本格的にスノーボードに切りかえ日本代表、パラリンピック代表まで登りつめるところは、山本選手の並外れたポテンシャルの高さが成せる技だと思います。
スノーボードで平昌パラリンピックのスタートラインへ
今日3月12日午前、山本選手はチョンソンアルペンセンターにて、スノーボードクロス予選に出場し、慎重な滑りで12位で予選通過。
スノーボードクロスは2人1組で同時にスタートして勝負を決める種目。
1回戦では予選5位のマイク・シュルツ選手(アメリカ)との戦いとなり、残念ながら敗退しました。
まだまだ、両足をボードに固定された状態で、義足である左足への荷重が難しく苦戦していると聞きました。
目標は良くて入賞とのことですが、どのような結果になろうとも、16日のバンクドスラロームでは攻めた滑りを期待したいですね。
「障害者はかわいそう」という見方を「パラアスリートはかっこいい」に変えるのが夢という…。
山本篤選手のプロパラアスリートとしての二刀流が成功することで、障害者への見方は大きく変わるのではないか、とわたしは思います。
平昌経由東京で悲願の金メダルを…。