愛知県緑署で5月18日、死体遺棄容疑で名古屋市緑区の高校2年16歳の女子生徒を逮捕する事件がありました。
生徒は17日午後7時ごろ、制服のまま遺体の入った鞄を持って緑署を訪れたとのことです。妊娠に関する相談を始めると突然泣き出し、自分が産んだ子どもの殺害を打ち明けました。
なぜ黙っていなければならなかったのか
生徒は妊娠したことを誰にも打ち明けられず、学校にも通っていたとのこと。
家族も女子生徒の妊娠に気付かず、生徒は自宅で1人で出産しそのまま子どもを殺害。
その後警察で事実を打ち明け逮捕に至っています。
なぜ、1人で黙っていなければならなかったのでしょう。
16歳という年齢で妊娠することが、絶対的に許されないというわけでは決してありません。
しかし、この年齢で妊娠し、出産まで親にすら打ち明けられなかった理由、親が気付かなかった(とされている)理由、ひとりで出産しなければならず、殺害してしまう何らかの決定的な理由があったはずです。
生徒は思い詰め、今回このような結果を迎えましたが、まだ子どもである生徒がきちんと母親になるために、せめてこのような悲劇を起こさないために社会の側でできることはどのようなことだったのだろうと、考えます。
命を優先するために
母親である生徒の妊娠を非難する社会の傾向も、一部に見受けられます。
しかし一旦妊娠したのなら、生徒の身体の安全と子どもの生命を守るために、せめて一時的にも寛容な社会でありたいと考えます。
真相がすべて明らかになっている事件ではありませんが、まだ16歳で高校生だからという括りは外し、普通に一般の女性として出産までケアできる社会でなければなりません。
わずかでも少女の心を傷つける、小さな偏見もあってはなりません。
そうして命をまず守り、その後に子どもを持つことの責任の重さを、母親になった本人に教育していくべきでしょう。
そして、現実に責任を取らせなければなりません。
母親になったのなら年齢は関係ありません。
男性にも同様に、親として命を守っていくことの責任を、一生を使ってでも担ってもらう必要があります。
非難と同情と
人間が生きて世代を繋いでいく能力の重さを、正しく理解するための学校教育まで必要なのだろうかと思います。
性教育は正規のカリキュラムとして実施されているはずですが、この生徒に必要だったのは、教育の基本の部分である両親からの監護だったのではないでしょうか。
身体が完成していない年齢で妊娠するだけで、母体にとっては大きな負担です。安全な環境での出産でもないため、生徒はことごとく自分の身体を傷付けたと思われます。
親と生徒の接触は日常的にどの程度あったのか疑問です。
後期にいたるまで見分けが難しいとはいえ、同居する親に妊娠が分からないということが誰にとっても疑問でしょう。生理の形跡について母親が確認できたはずとの意見もあります。
そして、女子生徒ばかりが矢面に立たされる事件ですが、妊娠に至った相手の男性についても、さらに根深い問題を抱えているとも言えます。
この点についても、内情がどのように進んでいたのか、当初から計画的に考えたうえでの妊娠だったのかなど、今回の事件は状況がわからなければ一方的に批判できない性格を持っています。
この世に生まれて一瞬のうちに実の母に殺された新生児の無念には計り知れないものがあります。
多くの人にとって目を背けたくなるような事件です。
もちろん、当事者以外は他人ですから、それが悪い訳でもありません。
しかし、そういった内容の問題ほど多くの客観的な意見を集め、命を最優先し守っていく動きを作っていく必要があります。
誰も、上手には語れない問題です。
それではいけないのかもしれないけど、下手でもいいから、触れたくないような問題ほど無視せず、せめて議題にだけは上げていく社会でありたいと考えます。
via:産経WEST
via:mamastadium