fbpx
2024/11/10:フリーペーパーvol.104発刊!

2018NHK大河ドラマ「西郷どん」から学ぶ幕末と明治維新後の新政府

明治維新から150年後にあたる来年2018年西郷隆盛を主人公にしたNHK大河ドラマ西郷どん」が、1月7日から放送されることとなりました。

鹿児島県では各地で撮影が行われる予定で、鹿児島市霧島市ではすでにロケが始まっています。

鹿児島における西郷隆盛の人気

西郷隆盛は鹿児島市の出身で、地元でも人気の歴史上の人物です。

鹿児島市城山町の国道10号線沿い天文館のちょっと外れに中央公園という広い公園があり、目の前の国道を挟んで向かい側に西郷隆盛像が軍服を着た姿で立っています。

たまにその前を通ると観光客らしき人々が記念撮影をしています。その旅行客の話す言葉は日本語だったり中国語だったりポルトガル語だったり英語だったり、様々です。

銅像が、歩道の狭い幹線道路沿いで撮影しづらいため、国道を挟んで向かいの広場に撮影用の台座が用意されています。西郷隆盛はもちろん人気で、そして、賛否両論ありますが同じく人気のある郷土出身の人物に西郷の盟友である大久保利通がいます。

https://twitter.com/ume_kororin/status/902827508634025985

西郷隆盛と大久保利通そして征韓論

西郷と大久保は、互いに幼少期から家族ぐるみで親交のある薩摩藩士で、プライベートでも友人関係にありました。

二人が政治の場で対立した主張が征韓論でした。遣韓に積極的な西郷に対し、大久保は内治優先を唱えます。当時の太政大臣三条実美が病に倒れると、代行を努めた岩倉具視が大久保とともに遣韓中止を決定したのです。

西郷の政策の妨げとなった大久保でしたが、幕末ファンから頻繁に言われるほど鹿児島での大久保人気が低いわけではありません。維新後の実績を冷静に見れば、大久保がどれだけ政府に貢献したかは明らかです。

上る大久保、下る西郷

西郷は31歳のとき、安政の大獄で幕府を追われ、京都清水寺の僧侶月照とともに自死をはかりますが、自分だけが生き残ります。

奄美大島に4年間身を潜めたその後、当時、島津久光のもとで力をつけていた大久保のとりなしで西郷は薩摩に戻りますが、後に久光により沖永良部に流されてしまいます。

大久保が新政府でうまく立ち回って要職に就いたことや、西郷を追い詰めたのは大久保であるとの考えなどから、現在の西郷人気は大久保利通をはるかに凌ぐものです。

当時、明治維新によりその地位を失ったのが士族でした。武力による朝鮮半島の統治に、かつての武士である士族を登用することで、西郷は士族への詫びを入れたいと願っていたと考えられています。

西郷は後輩や部下から、面倒見のいいことで慕われていました。

しかし征韓論は敗れ、西南戦争を経て城山の地で政府軍に取り囲まれた西郷は、戦友に自死の意図を伝え、自らの首を落としてもらいます。

一方の大久保は政府で要職に就きますが、士族の恨みから暗殺され、死を迎えます。

日本のために自身の生涯を捧げた点では両者その意志は同じでした。西郷隆盛は今でも郷土で親しまれ「西郷どん」などと呼ばれ愛されています。

しかし、日本のためと思う西郷の思いはその多くが叶わずに終わります。当時の彼は、孤独に悩み抜く人生を送っていたのではないかと考えられるのです。

49歳で死を決意したその生涯は短かったものの、日本が近代化への大転換を成し遂げるために、西郷隆盛が絶対的に必要な人物だったとの思いに対して、誰も異論はないでしょう。

http://www.page.sannet.ne.jp/ytsubu/index.htm

via:西郷隆盛のホームページ「敬天愛人(けいてんあいじん)」

http://d.hatena.ne.jp/nisinojinnjya/20080514

via:西野神社 社務日誌

https://www.nhk.or.jp/dramatopics-blog/2000/267810.html

via:NHKドラマ

最新情報を購読しよう!

就労継続支援・就労移行支援事業者様へ

HIFUMIYO TIMESでは毎月フリーペーパー版を発行しており、各エリア版の加盟店を募集中です。福祉事業者に最適なブランディングと広報力をご提供します。詳しくはお問い合わせください。