学部編成によって、大学から文学部が減少する傾向にあります。
文学部に限らず、受験生の文系学部への人気は低下し、職業に直結しやすい理系学部、工学部、理学部、農学部、医学部などの人気が高まっています。
文系であっても職業選択の幅が少しでも広がるよう、経済学部、商学部、法学部などが選ばれる傾向にあります。
文学部が役に立ち必要とされる場面は、どのようなところに見いだせるのでしょう。
生産の理系学部、救済の文学部
大阪大学文学部長で大学院文学研究科長も務める金水敏さんが、今年3月に文学部・文学研究科の卒業セレモニーで話した内容が話題になっています。
https://twitter.com/alice_eemw/status/886905523467018241
「しかし、文学部の学問が本領を発揮するのは、人生の岐路に立ったときではないか、と私は考えます」
生産に直結するという点で考えるなら、それは理系学部にはかなわないでしょう。
しかし、もし自分が堪えきれないような精神的に苦しむ岐路に立つことがあれば、文学部で学ぶ内容、あるいは文学という考え方は、私たちの心を救ってくれるはずです。判断の指標となってくれるでしょう。
理系学部の魅力
大学によるとは思いますが、文学部を設けている大学でも学生の入学定員は多くの場合理系学部に多く割り振られています。
同じ大学内でも文学部の定員数は少ないため、競争率は高くなります。
大学は職業学校ではないものの、学んだことを職業に活かせるならそれがもっとも無駄のない学費の投資といえるでしょう。
そして多くの学生は就職活動に必死です。
企業が必要とする人材に自分がなれるよう、学生は日々、努力と工夫に余念がありません。
その一環として自分に専門性を身に付けようと、理系の専門色の強い学部で学ぼうとするのです。
では文学部、特に国文科や哲学科、などの必要性はどこにあるのか。
文学部の必要性
「人生の岐路に立ったとき」に役立つ学問の必要性を、どの程度共感を持ってもらえるか、就職面接の現場でアピールするのは難しいことかもしれません。
企業にしても、目の前にある近い利益には弱いものです。
しかも、文学部を卒業しても特に何も身につけないで卒業してしまう学生も大勢います。
一方、本当に文学作品や論文に多く目を通し思想を深めたなら、自分なりに人生に対する何らかの考え方を身に付ける者もいます。または、その後さらに数十年の人生を積んだ末に悟ることもあるでしょう。
学部自体が編成により縮小し、学生の親にしても高い学費に見合った職業に就いてもらいたいという親心から理系学部への進学を望む傾向は強くあります。
RT: 阪大の金水 敏文学部長の昨年度のセレモニーの式辞、文学部で学ぶ事は何の役に立つのかについて、実感として、色々と苦難につきあたった末に精神の自由だけは確保しながら生きようと決めたし、そう思えたのは人文系卒の中学時代の友人の言葉が根底の支えになったからなのだよなあ。
— タカナシカヅキ(オトノハ) (@topotopot) July 22, 2017
文学部を否定することはないにしても、大学が生き残りをかける現代においては、希望者を多く集めなければなりませんから、需要の多い理系学部の学生を多く受け入れようとするわけです。
文部科学省による組織再編・縮小を含む整理の促しは「ミッションの再定義」として明文化されました。これはとても重要な判断で、学問において必要なことです。
昨今の文学部のミッションは、むしろ強まっているでしょう。ただし、すぐに結果を出したがる昨今の経済活動においては疎ましがられる分野なのかもしれません。
何もベンチャーするだけが創造ではないのですから、文学部出身者は身につけた貴重なノウハウの活かせる場を自分の力で開拓していかなければなりません。
本気で学んだことなら役に立たない学問を探すほうが難しいのですから、挑戦し続ける努力だけは少なくとも続けていくべきです。
https://withnews.jp/article/f0170724005qq000000000000000W00o10101qq000015619A
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