自然な死を避け、命を永らえる技術が医療の世界で可能となってきました。

一方、延命治療を望まない意思を、意識の明らかなうちに文書で残す動きも出ています。

延命中止」は、医療現場でこれまでタブー視されてきたものです。回復の見込みの無くなった患者の看護に、家族が多大な負担を強いられる例も明らかになってきました。

患者側からも、自分が家族に余計な負担をかけることを嫌い、事前に延命治療の拒否を伝える動きもあります。

これは、10年前であれば殺人事件として起訴されかねなかった問題です。

長寿社会となって久しい日本では、今後活発に議論されるべきテーマと言えるでしょう。

命を伸ばす医療技術

心肺停止の状態で人工呼吸器につながれ、本来なら死を迎えている状態にありながら延命措置を取られた患者の生死を決定するのは、現場においてはもはや本人ではありません。

生きるのか死ぬのか、まだ意識の明らかなうちに伝えておいた本人の意思に基づいて家族が医師に告げるのです。

しかし重度の疾患を患い、1年以上意識朦朧と病院のベッドに横たわってきた患者の心が、1年前と同じものだという確約はないでしょう。

言葉にならない呻きのような声で「生きたい」と訴えているのかもしれません。

延命中止は倫理的にも判断の難しい問題です。結局のところ明確な答えはどこにもありません。

しかし2007年、国のガイドラインで人生の最終段階における医療行為の中止が提示されました。

アドバンス・ケア・プランニング

欧米で広まっている終末期医療の新たな考えACPアドバンス・ケア・プランニング)が取り上げられています。

患者の意思を尊重し、最善の治療方法について患者や家族と医療スタッフの間で丁寧に話し合い決定していくものです。

気持ちが不安定になって、当初の希望からの変化があればそれにも対応し、医師と患者で目標を共有し合って治療を進めていくものです。

生き方と終わり方、医療の持つ新たな役割

私は、近い親戚を多くガンで亡くしています。

家系や遺伝がガンの発症リスクに関係のあることは明らかになっています。

数人の最期を看取る現場に、小学生の頃から立ち会っていました。頻繁に見てきただけに、死に対する感情は今では冷めたものになっています。

しかし、最終的に死を迎えるまでの患者自身の苦しみには壮絶なものがあります。

意識も朦朧として普段声をだすことさえできない終末期の患者でさえ、ガンに伴う激痛に顔を歪め呻き嘔吐し、しかし周囲はなすすべもなく背中を擦ることくらいしかできないのです。

本人が望むなら自然死に導いてあげるのが優しさとも言えますし、どんな形であれ命を永らえさせることに意味があるとも言えます。

これは個人の考え方の違いであり、一定の決まった答えが用意されているわけではありません。

幸せな死を迎えるとき脳裏に浮かぶべきことは

「もう、自分は死ぬけど、でも、あんなこともこんなこともしたし、いろいろな人に出会って様々な思いをした。今までの人生は密度も濃く、それなりに良かったのかもしれない」

と思えることだと思います。

死の間際になって後悔の念が浮かばないよう、今の人生を一生懸命生きることが、幸せな死を迎えるために必要なことだと思うのです。

延命中止はひとりの人間の、人生における最も重要な部分を他人が操作することになります。

それだけに、踏み切るには患者家族医療機関の間で十分に納得する必要があります。

それができるためには、私たち個人は健康なうちに自分の人生を良いものするよう、努力しなければなりません。

そして普段から、より良く生きるために、死の問題についてもじっくり考えておくべきだと思います。

「延命中止」という新たな選択 生と死のはざまで – 記事 – NHK クローズアップ現代+ www.nhk.or.jp

via:クローズアップ現代+

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