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『つながらない関係』小池龍之介―リアルを充実させるために

道を歩いていてもバスに乗っていても、コンビニでおにぎりを選んでいても、前を向けば誰かしら、必ずと言っていいほどスマートフォンを手にして食い入るように見つめています。

ピンコン」とラインの受信音が鳴ると、器用にスクロールしてメッセージを読む姿が視界のどこかにあります。

私たちはつながり過ぎているのです。インターネットの普及によるメールでの文書交換の機会が増加し、文字によるコミュニケーションの機会も増加しました。

しかも、つながりすぎることの煩わしさから逃れる手段も近年、次々と失われています。

『つながらない関係』小池龍之介

日本には江戸時代に入ってきた中国の古典『菜根譚』。

その菜根譚を元に小池龍之介が説く著書『つながらない関係』が発行されました。

つながりには必要なものと不要なものがありますが、それらを自分で自由に選べない立場にある人の方が、今では多いのではないでしょうか。

SNSが普及し、つながることがむしろデフォルトのようになっている現代においては、「つながらない」ことの方が特権のようになっています。

孤独や静寂は価値を持った環境となり、現代では財として所有すべきものとなりました。

漫画喫茶、ネットカフェ、一人旅行、車の運転時間など、幸福を感じる時間といえば一人で過ごす時間だ、という人が増えています。

世の中はつながらないことの重要性であふれている

自分の抱えている数々の人間関係が、すべて自分を成長させてくれる有益なものであると胸を張って言える人はそうはいないでしょう。

つながっていることが自分の人生の浪費になるなら、それは捨ててしまった方がいい。本当のリア充というものは、一人で過ごす時間も大切にしているものです。

世間とは自分だけが生きている世界ではありませんが、気にし過ぎれば無駄な無理ばかりが生まれます。

自分が自分自身でいられるという悟り

著者である小池さんが語るのは、自分が自由に振る舞えることの重要性です。

今を生きる私たちは、自分にとっての重要な関係を正しく選別する能力が劣ってきているのだと思います。

ラインの友だち要請は不意打ちのように音を鳴らしてやってきます。
それって、友だちのやること?と言いたくなります。

SNSの友だちと非友だちは、友だちレベル0か100しかありません。
しかし、親しさとは程度に差のあるものです。

自分がどういう態度で相手と接するか、SNS基準の友だちは即断即決を求めてきます。
現代は曖昧な結論がよりいっそう許されなくなっています

自分がある一人の人物とどのように付き合うかということは、もっと自由に決めて良いことのはずです。
意に沿わぬ疎遠な態度を取られることも、あって当たり前です。

しかし、現代はそれが怨恨を理由とした殺人事件に繋がったり、ストーカー事件に発展したりします。

日本人が人間的に成長していることを示す例に、満員電車での振る舞いがあります。乗客がギュウギュウに密接した中でも互いに不満を漏らすこともなく冷静に自分と相手の立ち位置をわきまえ、体を入れるスペースを譲り合います。

互いの場所を侵害し合うこと無く、他人同士が長い時間を過ごすのです。

体が当たれば「すみません」と先回りして謝り、顔が向き合えばあえて目をそらすなど、余計なトラブルを回避することに周到な対策をとります。

日本人に何故これができるのでしょう?

その理由は、満員電車で朝通勤することを避けることはもはやできないし、その中での振る舞いのノウハウについては互いに共有しているからです。「事情をわかっているから」です。

人間同士はつながりすぎないことが大切です。

私たちが礼儀をわきまえ、それぞれの個人が自分のことだけに集中し合う集団であれば、多くのトラブルを避けて生産効率の高い社会を構成できると思います。

そのような社会を冷めているとは、決して思いません。

つながらない関係 

via:青春出版社

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