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大人になってから見方が変わる戦争アニメ「火垂るの墓」

第二次世界大戦中の末期、頑張って生き抜いていこうとする主人公、14歳「清太」(せいた)とその妹である4歳「節子」(せつこ)の物語、それが「火垂るの墓」である。

画像引用:週刊アスキー

原作者である野坂 昭如(のさか あきゆき)さん自ら戦争体験し、それを題材にして描いたアニメでもある。制作はスタジオジブリ。僕が「火垂るの墓」を最初に観たのは中学3年生の頃、中学校で年に2回ある学年合同の映画鑑賞会のときであった。

火垂るの墓の大体のあらすじ

いきなり主人公「清太」が駅のホームで亡くなるシーンから始まる。駅員が清太の持っていたドロップ缶を草むらに投げてしまうところからこの物語はスタートする。このドロップ缶の中身は妹の節子の遺骨が入っている缶である。

舞台は神戸大空襲、清太と節子と母親が空襲の爆撃から逃げるところ。母親は心臓に病気を患っており、清太は「はよ避難所に逃げな!!」と母親を先に逃せる。

そして清太と節子も逃げようとしたときにアメリカ軍の飛行機が爆撃攻撃を始める。なんとかその爆撃から避難する2人だったが河原にたどり着くと街はすでに火の海だった。

そして母親がいる避難所へ行くと、知り合いの女性から「お母さん大怪我したのよ」という言葉を清太は聞かされる。

節子をその女性に一旦預け、避難所の中のベッドに行くと全身やけどで包帯をぐるぐる巻きにされた母親の姿があった。

この母親の遺体の姿がトラウマになって観れないという人も多いシーンで話題にもなっている。

次の日母親は亡くなり、清太と節子は親戚の叔母さんの家に住むことになる。最初は叔母さんとも仲良くして暮らしていたが、戦争が進むにつれて配給も苦しくなり叔母さんの態度も一変する。

清太に「働かないのか??」とか「学校はどうするんだ??」とか清太と節子が遊んでいるところを「うるさい」などと、どんどんと冷たい態度をとりはじめ、清太と叔母さんの関係は悪くなっていく。やがて節子も「あの家(叔母さんの家)に帰るのいやや」と愚痴りはじめ、2人で叔母さんの家を出ることを決意する。

そこで偶然見つけた洞穴(ほらあな)を我が家にしようとする清太と節子。しかし食料もどんどん底を尽き果てて盗みなど泥棒行為にまで走ってしまう清太。やがて節子も栄養失調で亡くなってしまう。そして最初で書いた清太が駅のホームで亡くなるシーンにつながる。

キーポイントは叔母さんと清太の関係

この映画は僕自身5回ぐらい観た覚えがある。というのも大体夏休みに入る8月に第二次世界大戦が終戦した頃。その時期にたまに「金曜ロードショー」で火垂るの墓を放送してるときがあるから、たまにチャンネルを変えて観てしまう。

最初はこの親戚の叔母さんは「冷たいな」とか「意地悪な叔母さん」のように見えて、清太と節子が可哀想に観ていた。清太もまだ14歳、中学2年性だ。そしてまだ子供である。14歳と4歳の子の面倒も見てあげてほしかったと僕自身、この叔母さんが嫌な人に見えた。

だが僕もだんだんと大人になってくると「火垂るの墓」の見方が変わってきて……。あの時に清太は叔母さんに「泊めてくれてありがとうございます」と一言あれば叔母さんも許して面倒みてくれて一緒に生活できたのではないだろうか?というように、叔母さん側からの目線で観てしまうのだ。

そう、「ありがとう」というたった5文字の言葉を叔母さんに言えば…となってくる。戦時中でも感謝の言葉は大事である。

だが清太は叔母さんの家でゴロゴロしたり、手伝おうというシーンはアニメ中には一切ない。戦争を体験していない僕が言うのもなんだが、戦時中でみんな大変な中で何もしないのを見ると叔母さんが怒るのも分かる気がする。

そして叔母さんの家族と清太、節子で別々でご飯を食べるということになってしまい、清太は茶碗や土鍋などを購入して節子と一緒にご飯を食べる。

しかし、流しには食べ終わった茶碗が置いてあるだけ。これを見た叔母さんも「片付けもしないで」と怒りながらも茶碗や土鍋を洗ってくれるシーンがある。

清太はやはり少なくとも叔母さんの家事手伝いをするべきだったと思う。そして「何か手伝うことはありませんか?」など言うべきだったのではないか?しかし結局清太は節子と叔母さんの家を出ていくことに決めるのだ。

別れるときも「ほなさいなら」と叔母さんも邪魔者がいなくなったかのように軽く挨拶しただけ。

清太が子供すぎて甘ったれな性格だったのかもしれない。叔母さんは本当は優しい人だったのだろうという意見も多い。

後々に分かる、清太の家に多額の貯金があった…。

叔母さんの家を出ていって、小さな洞穴を見つけて暮らしていく清太と節子。しかし食料の配給も少なくなり、食べ物も底をついていってしまう。

次第に清太は畑にある野菜などを盗むという泥棒行為をしてしまい、その畑の人に捕まり警察に連れて行かれてしまう。少しでも節子に美味しいものを食べさせてあげたいという兄の気持ちが伝わってくるシーンでもある。

そして終盤あたりに分かってくることなのだが、清太の母親が預金に7000円を貯金していたことが分かる。これで「節子、美味しいもん食わしたるからな!!」清太は食料を買いに行く。しかし節子は次第に弱っていき栄養失調で亡くなってしまうのだ。

7000円と聞くと「少ないな」と思うかもしれないが、戦時中の7000円というのは今の価格でいうと約1000万ぐらいの価値があるのだという。

しかし、街は爆撃によりほぼ壊滅状態。病院といっても小さなところしかなかったかもしれない。1000万あればしばらく食べていけると思うかもしれないが戦時中と今を比べてはいけないだろう。

畑のおじさんから「謝ってでもいいからあの家(叔母さん)の家に泊めてもらえ」と言われるがそれに応じない清太だった。

そして早くこの7000円があることを知っていて、叔母さんの家にそのお金を預けてお世話になっていれば清太も節子も死なずに生き延びれていたのでは…と思うことになるのだ。

子供が大金をやりくりするのは難しいことなのだな、と改めて考えさせられた。

そして清太には他に相談できる人、心を許して話せる友達がいなかったのだろうか??と深く考えてしまう。

清太のの何か「誰にも頼らずに2人で生き抜いていくぞ!!」という気持ちも伝わるアニメ映画でもある「火垂るの墓」。悲惨な戦争時代の暮らしは人それぞれによって見方が変わってくると思う。

僕の場合は叔母さんと清太が仲良くしていれば良かったな、と考えさせられたアニメだった。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%81%AB%E5%9E%82%E3%82%8B%E3%81%AE%E5%A2%93

via:Wikipedia

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