ある朝、いつものバスに乗り込んだら、大きな旅行かばんをいくつも抱えた男女2人が、そわそわと周りを見回しながらブツブツ互いに話し合っていました。

彼らの席は通路を挟んで私のすぐ斜め前。言葉の感じや外見から、東南アジアから日本に来ている方であろうと予想しました。

彼らのすぐそばに座っていた女性が「ナイン、ナイン」と、質問に答えていたので、午前9時19分だったから「ナイン・ナインティーン」と私が時刻を教えました。

それから、私のすぐ前の空いた席に女性が移り、次々と私に英語で質問してきました。

フィリピンからの出稼ぎ

彼らはフィリピンから、カツオの水揚げで全国有数規模の枕崎漁港を持つ鹿児島県枕崎(まくらざき)のカツオ加工工場に出稼ぎに来ている夫婦の工場労働者でした。

工場から許可をもらい、たくさんのおみやげを持ってフィリピンの親類のもとに帰省する途中とのことでした。鹿児島中央駅から新幹線で博多駅へ向かい、地下鉄で福岡空港へ行って、飛行機でフィリピンに帰るという道筋でした。

女性は新幹線の乗車券を私に見せ、これで行けるのか、時間は間に合うか、などの質問をしてきました。

バスは私が乗った時点ですでに10分遅れており、彼らが鹿児島中央駅前のバス停に到着するのはさらに遅れて定時の15分後だろうと、予想されました。もう、数年同じバスに乗っていましたからその辺のことは、すぐに分かりました。

時間のことを伝えると同時に、彼らの乗る新幹線指定席の発車時刻を見ました。まだ1時間の余裕があり、バスは遅れているけど十分間に合うと伝えました。

実は、乗車券を見せられる前に彼らの職場の同僚が書いたのであろう旅程の時刻に関するメモを、私は渡されました。

メモの内容から、鹿児島中央駅到着時刻にあと10分しか無いことを知り、当初は「間に合わない」と伝えていました。

しかしそのメモは、フィリピン人の彼らが新幹線に乗り遅れないよう、日本人である同僚が駅到着時刻を早めに設定して記入したものでした。

乗車券に記載された正式な発車時刻を見てホッとした私は、「ユー・ハブ・ワン・アワー・トゥー・ゲット・オン・ザ・シンカンセン。イット・イズ・イナフ・フォー・ユー・トゥー・ビー・イン・タイム・フォー・ザ・デパーチャー(新幹線発車まで、まだ1時間あるから、十分間に合いますよ)」と伝えました。

分かってくれたものの、いま振り返ると、この英文は間違っています。

年に一度の帰省だから

鹿児島中央駅も近づき、私もその駅で降りる予定でしたから、「一緒に降りましょう」と伝えました。

次の質問は、バスの運賃がいくらかというものでした。

車内前方の電光掲示板に表示された、乗車時の整理番号に該当する金額を支払うことを伝えました。

彼らは私の英語を理解してくれましたが、お札しか持っていませんでした。そこで、両替するよう教えました。2人合計で1860円くらいだったと思います。

薩摩半島南西部に位置していいて、東シナ海に面している枕崎からなので、かなりの長距離を乗っていたのです。

彼らは千円札を3枚、私に渡し、「これで足りるのなら、あなたの運賃まで含めて、このお金で払ってください」と伝えられました。

そのお金は、彼らが家族と離れ、知らない国へ来て、必死に働いて稼いだお金ですから、私にはもらえません。

というよりも、障害者の私は無料パスを持っていましたから(笑)。

千円札を1枚だけ受け取り、「ちょっと待って」と伝えて代わりに運転席横の両替機に向かいました。その千円札にはたくさんのシワが寄っていて、機械になかなか入らず戻ってきました。

そのとき、運転手がどこかのスイッチを操作し、「どうぞ」とボソリと言いました。お札はすんなり両替機に飲み込まれ、小銭が出てきました。

運転手は無表情のまま、仕事に集中していました。

ありがとう、運転手さん。

親切と迷惑のはざま

規定の金額だけ「これで2人分ですからね」と伝え、手のひらに置きました。残りもきちんと渡しました。

あとはバス停への到着を待つだけでした。

しばらく、無言でいられることにホッとしたのを覚えています…。

鹿児島中央駅前のバス停に到着すると、彼らは5〜6個の大きなキャリーケースを運び出していました。なぜだかわかりませんが、私はそれを手伝いました。

自分の荷物も持っていたのですが、空いた両手で大きなキャリーケース2個をガラガラひきずり、駅改札のある2階へのエレベーター乗口まで運びました。

私も汗だくになってしまい、「なんでこんなことしてるんだろ」と我に返りました。額から汗を流しながら、エレベーターで上がっていく彼らを見送り、そして、自分自信の目的地に向かったのです。

バスからの荷物の運び出しにも随分時間を使いました。その間、他の乗客の方々は苦情も言わず、待ってくれました。

私自身も、関係の無い他の乗客の一人ではありますが…。ご迷惑をおかけしたと思います。

私自身、かつては路上で外国人を見つけては話しかけ、「自分は英語を勉強しているので、どうか練習相手になってくれませんか」という趣旨のお願いをし、受け入れてもらった記憶があります。

公園の芝生の上だったり、電車の中だったり、書店の書棚の前だったり、不審者と言われてもおかしくない挑戦をしていました。

そのような記憶があるから、私は外国人に親切にしてしまうのだと思います。今までの恩返しです。

もちろん、これで具体的に英語力が向上するわけでも、何かの試験に合格できるわけでもありません。どちらかと言うと、「英語が荒れる」という悪影響を及ぼす恐れもあります。

でも、今では度胸もかなりついたし、外国人だから緊張するということも無くなりました。

私のしたことが親切だったのか、他の乗客の方々への迷惑だったのかは、今でも分かりません。

しかし、こういったことが自分にできるのなら、それは多くの人が出来るようなことでは無いのかもしれないし、実践して少しでも自分の人生を密度の濃いものにすればいいのではないかと思うのです。

ただ受け身に生きて、プラスもマイナスも無い人生に甘んじるくらいなら、少しでも色のある人生を送らなければつまらないと思うのです。

単にまっしろでいるよりも、はるかに「まし」、ではないですか?

「真っ白でいるよりも」 – It Will Be Fine!「真っ白でいるよりも」 谷川俊太郎 1 自分がチェンバロになって 一晩中待っているのよ もちろんモーツァ..d.hatena.ne.jp

via:Hatena Diary