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2024/12/10:フリーペーパーvol.105発刊!

ブラインドサッカー界のメッシ。No.1フットボーラー「リカルディーニョ」

10月22日からWOWOWプライムで放送がスタートした、世界最高峰のパラアスリートたちに迫るスポーツドキュメンタリーシリーズ『WHO I AM』。

 

11月26日に放送された第6回は、ブラインドサッカーブラジル代表リカルディーニョ選手がフューチャーされた回でした。

 

 

ブラインドサッカーとは

 1チーム5人制のサッカーです。転がる音の出るボールをドリブルやパスでつないでゴールを狙います。 視覚障害者のうち全盲の選手が出場し、ゴールキーパー以外の選手はアイマスクを着用します。キーパーは弱視もしくは視覚障害のない選手がなります。

 

 

「サッカー王国ブラジル」「盲目の10番」「キャプテン」リカルディーニョ選手の母国開催のリオパラリンピックまでの軌跡が描かれています。

 

 

サッカー大国ブラジルで生まれたリカルディーニョ選手は、幼少時代からサッカー選手になることが夢でした。
しかし、6歳で視力低下、8歳で網膜剥離で失明しました。

動画ではその時を振り返り、

「二度とサッカーはできないと思った」
引用:YouTube

と話しています。

わたしは目が見えています。
このウェブサイトをみているほとんどの方も目が見えているでしょう。

想像できますか?8歳のときに目が見えなくなる恐怖。
わたしは8歳のころ一人でトイレに行くことすらも怖かったです。

そんなものとは比にもなりません。

しかし再びサッカーボールを手に取りました。
そのきっかけは小学校でドトーという先生に出会ったことがきっかけです。

そしてブラインドサッカーを知ったリカルディーニョ選手は再びサッカーをする喜びと期待を知りました。

16際にはブラジル代表として招集され、その精密なボールコントロールとドリブル、シュートの精度を武器に世界中を魅了してきました。
まるでその芸術性からゴールが見えているかのようです。

そしてパラリンピックを3連覇。
その輝かしい記録は誰もが賞賛しています。

しかし、再び試練が訪れました。試合中にラフプレイによる負傷。
ブラインドサッカーもサッカーと同じように接触プレイです。

試合中に負傷してしまったリカルディーニョ選手は左足を腓骨を骨折と靭帯を痛めてしまいました。

この怪我は2016年4月の出来事で、リオデジャネイロパラリンピックが開催される年です。
4年に1度のパラリンピック。リカルディーニョ選手の年齢では母国で出場するには最後になるかもしれません。

その当時を振り返って

「こんなことで挫折なんかしない」
引用:YouTube

と話しています。
そしてリオデジャネイロパラリンピック。イランとの決勝を争いました。

最強の盾と言われるイラン代表のショジャエイヤン選手との対戦。
イランはディフェンスを固めて安定した守りを見せていました。

最強の矛と言われるリカルディーニョ選手もこれには苦戦し、なかなかゴールを奪えません。
何度もゴールのチャンスを潰してきたショジャエイヤン選手でしたが、リカルディーニョ選手の脅威のシュートはショジャエイヤン選手の足と足との間を貫きます。

ショジャエイヤン選手も反応しましたが、シュートしたボールの球速が速く間に合わずにゴール!

その後も守備に徹したイランではブラジルのゴールネットを揺らすことができず、試合終了。
「ブラジル 1 ー 0 イラン」とブラジルが4連覇を達成。

大けがで出場も危ぶまれていた状況から、自分のゴールで優勝を手繰り寄せた執念はすごいものがあります。
困難が自分の前に立ちはだかった時、どのような考え方を持つかによって、その後の人生が変わってくるように感じます…リカルディーニョ選手は、

「人生に避けることのできない事は訪れるが、それを乗り越えることはできる」
「僕にとって困難は、ただ乗り越えるためにある」

引用:YouTube

と話しています。
様々な困難を乗り越えてきた方の言葉だからこそ、響くものがあります。

今後のブラインドサッカー界、リカルディーニョ選手のプレーはもちろんのこと、彼の発する言葉や生き方にも注目していきたいと思います。

 

via:WOWOW

via:CYCLE

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