みなさん、ゴールデンウィークも終わりましたね。
今年は 連休の人もいたとか?
ちなみによっちゃんは、猫並みに日向ぼっこを過ごしたゴールデンウィークでした。
人間だって光合成できるんじゃ?と思うぐらい元気をチャージしたところで、今回のお題「合理的配慮の副作用はないのか?」ってことを話していきます。
前回は「障害者差別解消法」の「合理的配慮」がどれだけマイノリティを助けるのかって話をしました。
皆さん、覚えてるかしら?「合理的配慮」ってマイノリティにとっては本当に助かることなんです。
「はたらく」を中心に考えてみると、体調を重視して休憩を小刻みに取れるようにしてもらえるだけで働きやすさが一変します。マイノリティが持つ障害に対しての配慮って、小さなことでも意味があるのです。小さな配慮でマイノリティの「はたらく可能性」を大きくすることができます。
このような考え方が当たり前のように市民権を得ることで、社会が共生というスタイルへ進化をはじめるのは大歓迎です。この法律を施行するために多くの方々が議論を重ね、血が滲むような努力をしてきたことに深く感謝致します。
でも、ここで一石を投じたいと思います。
なんにでも、良い面(作用)と悪い面(副作用)もあるのでは?ということです。
例えば、カップ麺はすぐにお腹を満たすことができます。
しかも美味しい!(笑)でも、添加物いっぱいで、栄養バランスが悪くて…食べ過ぎると、体を壊してしまいます。
そんな感じで(どんなかんじだよ!ってツッコミしてね)どんなものにも良い面(作用)と悪い面(副作用)があります。
では、合理的配慮においては、どのような側面があるのか考えていきます。ここでは「はたらく」を中心に考えてみます。
まず、前述した通り良い面(作用)は「はたらく可能性を大きくすること」です。
ここは大きな進歩というか、僕らにとっては念願でしたので疑う余地もありません。
では、悪い面(副作用)はどんなことでしょう?
それは、合理的配慮によって、その人が持つ可能性を最小化してしまうのでは?
ということです。
障害や難病があるから、この仕事しかできないはずだと「可能性を決め打ちした合理的配慮」になってしまうことで引き起こされがちな副作用だと思います。
法律には賃金の決定、教育訓練の実施、福利厚生施設の利用その他の待遇について、障がい者であることを理由として、障がい者でない方と不当な差別的な取扱いをしてはならないと書かれていますが、その「さじ加減」が今後の課題だと思います。
例えば、企画を作ることに対して才能を秘めた人がいるとします。仕事の経験によって才能は開花されるわけですが、「可能性を決め打ちした合理的配慮」によって企画以外の部署に固定されたらどうでしょうか?
その人の可能性を大きくスポイルしてしまうことに繋がります。
障害と才能は別で考えた上で合理的配慮は実行されるべきなのです。
可能性は平等ですから、才能を育てるために必要なキャリアは一旦、障害のことを忘れた上で考えて欲しいというのが僕の強い想いです。
「その人が持つ障害 → 合理的配慮 → 仕事内容・部署の決定」
ではなく、
「その人が持つ可能性・才能 → 仕事内容・部署の決定 → その人が持つ障害 → 合理的配慮」
という考え方で、合理的配慮が運用されることで、真の共生社会の実現に近づくと思います。
もちろん、はたらく僕らマイノリティも遠慮せずに「自分の想い」を会社へ伝えることも忘れてはなりません。対話をこえた相互理解をもたらすのが「障害者差別解消法」だと願います。
ちなみに、性別による差別解消を目指した男女雇用機会均等法が施行されたのが1986年です。約30年経ちましたが、国際男女格差レポート2014を見てみると、調査対象142カ国中、104位(主要7カ国中最下位)です。
とくに政治参加や管理職への登用、職場への進出が低水準であるということが要因です。「障害者差別解消法」が施行されてから30年後の2046年をみんなで想像してみましょう。マイノリティが活躍できる社会が実現しているでしょうか?
今回お話ししたような、人が持つ可能性をスポイルしない合理的配慮が当たり前の社会になれば実現します。
僕はそう信じています。
「障害者差別解消法」で日本人全てが「ニュータイプ」に進化すればいいのです。
「見えるよ、ララァ…。」ということで、また次回お会いしましょう!See Ya!!!