平成を代表するロックバンド
2003年、彼らは「キリキリマイ」でデビューしました。
当時の彼らは二十歳そこそこで、低音ボーカルのRYOにおいては高校生でした。
その後、名曲となる「上海ハニー」がリリースされると、爆発的に人気が上がり、その後出す曲も名曲ばかりで、「イケナイ太陽」や「以心電信」など、今でも耳にする曲が数多くあります。
彼らの曲は、20代後半から30代には浸透しているのに、それより若い世代には恐らく広まっていません。社会現象にもなっていたバンドに、何が起きたのか。
今からそれを語っていこうと思います。
メンバー紹介
HIROKI
ヒロキ
1983年6月29日(42歳)
中音域ボーカル
3人のボーカルの中で中音域を担当していて、作詞を任されている。
YAMATO
ヤマト
1984年1月14日(41歳)
高音域ボーカル
高音域ボーカルを担当していて、変わった声の持ち主。
RYO
リョウ
1985年10月1日(39歳)
低音域ボーカル
低音域のボーカル。YOHの弟。
NAOTO
ナオト
1983年5月8日(42歳)
ギター、プログラミング、コーラス、ヴォコーダー、シンセサイザー、パーカッション、ベース、ドラムス等の楽器担当
ORANGE RANGEのリーダー。様々な楽器の担当。バンド内の楽曲のほとんどを作曲している。
YOH
ヨウ
1983年12月11日(41歳)
ベース担当
GLAYなどに影響を受けてベースを始める。RYOの兄。
全盛期は売れる曲を
ヒット曲を出し続ける彼らは、一気に超人気歌手となり、その人気ぶりはまるで超人気アイドルのようでした。
新曲を出しては売れて、様々な番組のテーマソングとして使われ、彼らの曲をテレビで聞かない日はありませんでした。
恐らく、日本中が「ORANGE RANGEは長期間活躍する」と思っていたと思います。
自由を求めてインディーズへ
彼らは全盛期には、売れる曲を作って活動していました。ですが、徐々にマニアックな曲も作るようになってきて、メンバーの中から「もっと自由な活動がしたい」という意見が出てきました。
その意見に同意した彼らは、独自で事務所を立ち上げ、インディーズに戻ってライブを中心に活動しています。
だが、ORANGE RANGEはインディーズに戻ったことで、テレビ出演が年に数回位にまで減って、曲は知られなくなっていきました。
そうして、彼らの曲は一部世代にしか人気が出ませんでした。
現在の彼ら
今のORANGE RANGEは、過去のヒット曲をネットやテレビで披露するなど、様々なメディアで活動しています。
インディーズになった今でも、自分たちのペースで曲を作り続けています。
先日はFNSで今人気の3人グループ、INIとコラボで「イケナイ太陽」を披露して、ネットで絶賛されて、今でも高い人気があるのが分かります。
まとめ
現在、彼らをテレビで見る機会が増えています。
ORANGE RANGEは、また波に乗り始めているのかもしれません。
この記事を見て、興味が出た人は彼らの曲を聴いてみてください。