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フランク・シナトラ

1915年12月12日、USAニュージャージー州ホーボーケン生まれ。1998年5月14日、USAカルフォルニア州ロサンゼルス没。
アメリカを代表する、JAZZ歌手・俳優。
アメリカのハリウッド、ラスベガスが華やかかりし頃。綺羅星の如くスターがいたわけだが、その中でもボス的存在がシナトラだった。
若かりし頃から俳優としてもミュージカルなど多面的な活躍を果たし、その歌声はバリトン的なものであったが、晩年はぐっと渋みをましてシナトラ節を聞かせてくれた。
アメリカショウビジネスの中心的担い手であった。

若かりし頃のシナトラ

まずは初期の歌からお聞きいただきましょう。
ペギーリーとのデュエットでおなじみのスタンダードナンバーから『Our love is here to stay』

シナトラは軽くスィングするところ…
彼流にフェイクするところがチャームポイントです。

おなじみのナンバーシナトラ節

続いてはおなじみのナンバーから『FLY me to the moon』

シナトラが歌えばこんな感じになります…
言葉の置き方とリズム感が独特です。こんなに楽しくジャズナイズしてくれる御大ですが、歌の上では唯一敬意を持って認めていたのが同じイタリヤ系アメリカ人のトニー・ベネットでした。彼はハイトーンで伸びやかな歌唱でしたが、シナトラはリズムのノリと渋さが光ってました。

晩年はますます貫禄が付きショウビジネスのボス的存在に

『After you’ve Gone』

力を抜いて軽やかにスィングするところが見ものです。

世俗的には、晩年のポール・アンカが書いたマイ・ウェイとか、ニューヨーク・ニューヨークが知られています。

『New York,New York』

この曲は大迫力のライザ・ミネリのものもよく聞かれますが…シナトラはおふざけモードで独特です。

『MY WAY』

この曲が原曲シャンソンであることを知らない方も多いはずである。
一度リタイアして復帰してからの『MY WAY』は凄みを増して聴くものに迫ってきます。

まとめ

世界中で歌われている曲ではありますが、日本では布施明さんの十八番と言っていいくらいです。
シナトラにしてもトニー・ベネットにしても、アメリカが燦然と輝いてた頃の夢の中の人物たちです。
その芸は時とともに成熟し上質のブランデーのように香りを放っています。
彼らの人生が投影して胸に迫るものを感じざるおえません。
今回はフランク・シナトラを取り上げてみました。音楽おしゃべりあれこれでした。

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