ハロー、カオス・ワールド
「安定」と「カオス」について考える。混沌とした世の中と、そこに生きる人々を見つめた、独り言のようなエッセイです。
安定とカオスについて
いろいろなことが世界で起きている。闇バイトや殺人事件、異常気象や戦争など、どちらかといえばネガティブなニュースが連日のように流れている。人はネガティブなことに対して小さなことでも、大きなことでも敏感に反応してしまう。それは経済や社会に限らず、個人の生活の中でも言えることだ。
「嫌な時代になったね」そんな言葉をよく耳にするようになった。またそういった趣旨のニュースが目立つようになった。確かにそうだと思う。だけど私はあまり悲観視しないようにしている。今のカオスは「膿出し期間」だと捉えているからだ。
ネットやテレビでは目を背けたくなるようなニュースが飛び交っている。たまにフィクションに出てくる出来事のようなことも起こっている。一瞬冗談かと、また冗談であってほしいと思うこともある。巷で長い間話題になるような出来事は、特別なことじゃなくて、世界中の何処かで、普通に起きている事かもしれない。もしかしたら、その出来事に感化された誰かが同じことをしてしまうかもしれない。本当のことはわからない。
世界が不安定になれば、社会が不安定になる。社会が不安定になれば、人が不安定になる。人が不安定になれば、心が不安定になる。エネルギーは国から会社へ、会社から家庭へ、ゆりかごから墓場まで循環する。あるものはあると信じていて、ないものはないものと信じている。ある日突然信じていたことが崩れる。そもそも「安定」とは何だろう?
コロナ禍の際、ネットで興味深い記事を見つけて読んだ。絵本作家の五味太郎さんが、インタビュアーに質問された際の返答が印象に残っている。
はい、一緒に考えましょう。それで、まず聞くけど、逆にその前は安定してた?コロナ禍じゃなかったときは、居心地がよかった?
引用:withnews 連載 withコロナの時代 五味太郎さん「コロナ前は安定してた?」不安定との向き合い方 #2
世界が不安定なのは昔からだ。そもそも世の中は絶えず変化し続けているのだから、不安定が通常なのだ。安定した時期はあってもそれは、長い歴史の目で見ると「点」なのである。
体中の細胞が数ヶ月に一度生まれ変わり、人は生まれ変わる。植物が芽吹き、動物がそれを食べ、その動物の死骸を、土の微生物が分解する。空から雨が降り、森林から海へ流れ、太陽の熱であたためられ、また空へ還っていく。
今は「膿出し」の時期なのだ。何を「膿」と定義するのかは難しいけれど、何かが変わろうとしている。隠したり、抑えたり、見ないふりをしてきたことが、循環しようとしている。私たちもまた、自分自身を見つめ、心の中の土を耕し、生き方や価値観が変わっていくのだろう。