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日本が生んだゴジラそして世界が畏れるゴジラ

Japan, Tokyo - April 20, 2019: Life size Godzilla looks out over the city from the eighth floor in Shinjuku

ゴジラとは?

みなさんはゴジラと聞いてどんなイメージがありますか?世代によって捉え方は様々かと思いますが、[原爆実験が産んだ怪獣]というのは不変のテーマでしょう。ゴジラは1954年から現在まで半世紀に渡る怪獣映画シリーズですが常に革新的でした。世界初の試みとしては着ぐるみで怪獣を演じるという手法です。それはなぜかというと従来はフィギュアやクレイなどでコマ撮りするのが怪獣作品のベーシック技法でした。

しかし、生物的な動きや現実に近い緊張などを求めるとなるとそれなりのサイズ感が必要になるという理論のもと、円谷監督による特撮技法で誕生したのがゴジラでした。その技法は人間が怪獣を演じること、破壊するための建物も精巧に作るという気迫。そういった信念を着ぐるみという形で体現してセットを破壊する覚悟も必要です。
そんな魂のこもった怪獣映画に観客が畏怖しながら観るという感覚も革新的です。

その革新というのは映像だけにはとどまりません。これから綴っていきますのはなにをもってゴジラが凄いのか、ゴジラは我々にどんな運命を魅せてくれるのかを持論でもってですが、私なりの想いを添えて解説するのでよろしくお願いします。

ゴジラの曲を生んだ人

初代ゴジラからの作曲者は伊福部昭という人物です。彼のエピソードとしては伊福部昭は第二次世界大戦における軍事関係者であり、その軍事実験において被爆するという壮絶な経験をした方です。敗戦後には作曲家となりましたがある日、極秘に近い作品の作曲を依頼されました。伊福部昭に与えられた情報は「とにかく大きくて恐ろしい怪獣」というニュアンスだけ伝えて依頼されました。

伊福部昭氏に関する詳しい参考資料の文字媒体はいろんなものがあると思われますが、個人的にわかりやすかったのはYoutubeの[音で怪獣を描いた男]というワードで検索すれば出てくる動画です。非公式リンクは貼れませんので、気になる方は検索の上でご覧ください。
まったくの未知のモノからどう音楽を生み出せばいいか?まずは想像するしかありません。
やがてその答えをウルトラマンの生みの親である円谷英二監督がフィルムで見せました。

伊福部氏は公開前のゴジラを鑑賞後に…自分が関わっていくゴジラという作品がこれから人々にどれだけ影響を与えるのかという予感に戦慄し、使命感の重さを知ってしまいました。そして苦悩の末に生まれたのが、現在ではおなじみにして至高のテーマ曲[ゴジラ]です。伊福部氏はなぜこれまで自分は被爆などを経験してきたのか?その答え合わせともいうべきいわば運命の曲となったのでしょう。ゴジラを知った人々の耳を通じて脳裏に刻まれます。

もし伊福部昭とゴジラが交わらなければきっと皆が知るゴジラとは違ったかもしれません。

ゴジラの世界観・世界線

まずゴジラの世界観としての起源は[人類の原爆実験により突然変異または生まれてしまった怪獣]ということ。その起源によって我々に罪の意識であったり罰を受ける道理だったり、またはゴジラを天災として具現化した存在のように崇めたりとこちらの心理に突き刺さるテーマ性として欠かせないものとなりますが決してゴジラそのものは悪くないです。ただ、ゴジラは怒っています。野放しにすれば、人類は滅ぼされてしまうかもしれません。人類の身勝手なジレンマのもと、ゴジラは倒さねばならない対象となってしまいます。人類の愚かさの産物を人類の叡智を結集して倒すというのが…なんとも皮肉な話です。そうしてゴジラの存在があることで人類の都合をクローズアップした世界観といえます。

そんなゴジラの世界観を受け継いだ世界線としてはシリーズ化に応じて多岐に渡ります。始祖は1954年の白黒ゴジラですが、そこで人類がゴジラに対してどんな決着をしたかで時間軸や解釈が変わったりして、その結末などでパラレルワールドとして世界線が分岐していくことになります。例えばゴジラが人類の敵であったり、縄張り争いのためにゴジラが他の怪獣と対決したり、戦争の怨念としての霊的集合体であるゴジラになったりと、わりと様々です。

ゴジラの脅威に怯える世界であっても…我々の世界で今起きている、目に見えない悪意よりはマシにも思えます。

世界のゴジラ

ニュースでも話題になっていたのでご存知の方もいると思いますが最新作[ゴジラ-1.0]が
2024年において数多くの受賞を果たしました。具体的に受賞したリストは以下の通りです。

アメリカの第96回アカデミー賞で視覚効果賞から始まり

優秀作品賞、優秀監督賞、優秀脚本賞、優秀主演男優賞、優秀主演女優賞、優秀助演女優賞、優秀撮影賞、優秀照明賞、優秀音楽賞、優秀美術賞、優秀録音賞、優秀編集賞

以上、計13部門の受賞という素晴らしく誇らしい大快挙を果たしてくれました。

過去の日本映画では1989年に北米公開された子猫物語という作品がアカデミー受賞していましたが、そこから35年ぶりにゴジラ-1.0が日本映画としてアカデミー受賞したので驚きです。もともとゴジラは世界から愛されていましたが、知る人ぞ知るという層に留まっていました。
しかし今回の大躍進によりゴジラに無関心だった一般層にも一気に認知度が浸透していき
名実共に日本が誇る世界のゴジラに成ってくれたことは1ゴジラファンとして凄く喜ばしいです。

なお海外ではGODZILLAという表記ですが、当初はゴリラとクジラのアルファベットを掛け合わせればいいという程度の認識でした。ですが名作として認知度が高まって、偶然にも頭文字がGODということもあってかいつのまにか神格化されています。そして今回のアカデミー受賞によってその神格化が世界の満場一致で確定したようなものです。

文化や言語で解りあえなくてもゴジラが吠えれば、世界は日本の神髄を理解してくれているようにも感じます。

Congratulations GODZILLA.

ゴジラの想い出

「ゴジラシリーズのどの作品が好き?」という質問に対して皆それぞれのゴジラに対する馴れ初めを回想するでしょう。私の場合は小学生の夏休みの頃でした。朝のラジオ体操が終わると、公民館で映画を観るという催しがあって、そこで初めて観たのがゴジラvsモスラでした。当時はゴジラに興味はなかったものの、小学生の友達と皆で映画を観るというシチュエーションが最高にエモい記憶でした。なので後々、そんな良い想い出をくれたゴジラに興味が湧くのは必然でした。そして次の段階が決め手となりました。後年の小学生の夏休みに友達の家でビデオを観ようという流れになり観た作品がゴジラvsビオランテでした。

なんというか、いろいろ衝撃的でした。とりあえず「ゴジラは正義の怪獣なんだ!そして悪い怪獣をやっつけるんだ!」という小学生なりの安直な考えで観ていたんです。ですが、ビオランテの成り立ちや最後の悲壮感あるシーンをみて、小学生の私は怪獣映画で初めて涙を流しました。その頃には説明できない感情が芽生えたんでしょう。私に情緒という大事な感性を呼び起こし、物事は必ずしも善悪では割り切れないということを教わった作品でした。
そこからゴジラに心酔していきますが、私の中で夏になればゴジラが観たくなると紐づけされており、暑さで汗だくになりながらも蝉が鳴けばゴジラが吠えるという感覚にリンクした想い出と成っていきました。五感で感じた記憶というのは自分にしかわからない財産です。ゴジラはそんなかけがえのない記憶の財産を私達に与えてくれる存在なのかもしれません。
海外では数多くのゴジラシリーズ作品の中でもダントツ原点である白黒ゴジラがいまだに想い出深いらしいです。

子供時代に観たゴジラ、大人になって観るゴジラ、国を超えても共通のシンパシーまたはエンパシーがあるのかもしれませんね。そういう意味でゴジラは不思議な想い出をくれるコンテンツだと思います。

さて、今回はゴジラについての自己解釈でした。あとはよければゴジラ作品を観て体感してみてください。最新の作品ゴジラ-1.0を身近でご覧になる方法は取り扱いレンタルショップの他にも動画配信コンテンツAmazonPrimevideoにて2024/05/03より配信されています。まだ、ゴジラを観ていない方でそちらの配信コンテンツをサブスクされている方は是非ご覧になってみてはいかがでしょうか?ゴールデンウィーク中の配信なので観た人も多かったと思います。

ゴジラ-1.0 AmazonPrimevideo公式リンクはこちら

また、解説と共に役立つ情報があればシェアします。ご覧いただきありがとうございました。

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