自分に身体障害があるのか分からないくらい普通の生活をおくれていた小学校時代
僕は昔、右半身まひでありながら小学校~中学校、高校まで普通の学生たちと混じって授業を受けていました。勉強はある程度の平均レベルで特に問題はなかったけど、身体障害者ならではの僕の悩みは図工、体育、家庭科の実習、学校への登校などなど両手、両足がかかわってくる事、体力面でした。
小学生の頃は特に自分の障害についてよく考えられなかったです。なぜならそのころはみんなの平均でも、同じような身体能力だったからです。勿論全部の遊びがそのままできてたという事ではなかったですが、時に僕に合わせてくれたルールで一緒に遊んでくれたりなど工夫をして遊んでいました。
小学校では僕自身も色々と努力や工夫をしましたがそれ以上に先生やクラスメイト、今思えば本当にいろんな人に気を遣ってもらい学校生活を難なく過ごすことができたんだなと思います。
差がつき始めているのを実感しながら過ごす不安な中学校時代
中学校になるとほとんどの人、僕自身も思春期に入りそのころから徐々にさっきも書いた通り、徐々に体力面や僕ができないことの差が顕著に広がっていきます。
例えば、中学校に入るとほとんどの生徒は靴ひもがある学校の規則に基づいた靴を履いて登校してきます。僕はそれまではずっとマジックテープの靴を履いていて、靴ひもが慣れ親しんでなかったので紐をある程度結べるようになるまで何回も練習した記憶があります。
体育の授業では、小学校の時よりもすることが増えてスピード感も上がってるので、今思うともうその時点から、自分のペースで生きていくことよりも、他人の、大多数でのスピードに合わせて生きていたとも思えます。
友達にも、小学校と同じように手伝ってくれないかと結構頼んでいるのですが、それに応えられる余裕がなかったり、当たり前のことを何でできないのかという感じで言われたり頼む立場でいうことではないけれど、自分の事だけをやっていたり等、勿論手伝ってくれた経験は少なくはあるけれど、小学校の時とは結構比べられないくらい環境が違っていました。
童話のかめとうさぎのように
小学校の時と違う地域の学校だったとはいえ、やっぱり全体的にするスピードが早くなったから皆もついていくので精一杯なのはわかっていたつもりでした。
僕は体を動かすのが好きだったので、体育の時は結構楽しみだったのですが体育の授業を受けるために体操服に着替えることが他の人たちに比べて遅かったので体育の授業は楽しかった時もありますが、それの時の準備の事を考えるようになって楽しめなくなっていきました。
机で授業を受けてるほうがよっぽど楽なので、楽っていう意味で普通の授業のほうがほっとするようになりました。
経緯は結構飛ばしますが、そこから現在にいたって僕は、仕事に対しても、人生においても自分が好きなことと出来る事を切り離して考えるようになりました。
そしてなるべく新しいことを少しづつ取り入れて知見を広げながら、今自分が出来ることにフォーカスしています。自分が出来ることを一つずつ考えて取り組んでいくと、他の人のペースにのまれても同じような流れで作業できる、もしくはもっとできることを発見したときに僕みたいな1回、世の中のペースにのまれて自分を見失ってしまった経験がある人にとっては、感動できる事だと思っています。
他人を見すぎない、知りすぎない
最近ではネットの影響でSNSの利用も気軽になってますが、インターネットの情報の高速化によって自分が何をしてるのか、どこにいるのかこうゆうことを気軽に発信できるようになりました。本当に1人1人が発信モデルになれるようになったことで、その人にとって最高の瞬間や好調の時にupするケースが多くなり、自分もこうゆうふうになりたいだとか、こうしないといけないと焦る気持ちも煽られ続けられますが、こうゆう情報に触れてると焦らないほうが難しいです。ですが、今自分に出来る一つ一つの事をしっかりと取り組んで行くと自分だけの特別な唯一無二の自信がつくと思っています。なのでやっぱり他人に振り回されることはなく、自分のペースでしっかり出来ることを見極めて取り組んでいく大切さが大事だと思います。