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2024/4/10:フリーペーパーvol.97発刊!

発達障害、調べても言葉通りにとると診断に結びつかない問題

当事者が言葉通りにとると発達障害の特性を読んでも理解ができない

私は50歳で発達障害の検査を受け、ADHDと多少のASDという診断を受けました。とくにADHDの特性は幼少期から強くあり、いまも生活に困るレベルだとわかりました。約一年半まえに診断され、アトモキセチン(ストラテラの後発薬)というADHDの治療薬を服用しています。

発達障害がわかるまでは、うつ病と診断されても良くならず、自傷や摂食障害も経験しました。いまは根本にある原因がわかって対処方法もみえてきたので、気持ちはとても楽になりました。

また診断後は、一般的な人と自分との違いに興味を持つようになりました。発達障害に関する記事を積極的に読み、対処や自分の扱い方を学んでいます。私が年齢を重ねてから発達障害の診断を受けたこと、そして治療薬の使用で多少の冷静さを持つようになったことが理由かもしれませんが、ADHDらしい旺盛な好奇心も発揮されていると感じています。もっと発達障害のこと、つまり自分のことを知りたいと思っています。

検査の前も、もちろん発達障害の情報をたくさん読んでいました。しかし、検査前は自分には当てはまらないと思っていた特性が、いまでは自分のことを書いてあるかのように感じることがあります。

それはおそらく、読んだ文章を私が「言葉通りにとっていたから」だと思います。この「言葉通りにとる」ということがすでに発達障害の特性で、そのために広い意味を理解できていなかったようです。何度も同じような文章を読み、自分のことに照らし合わせて読んでいたら、ずいぶん解釈が変わってきました。

この「言葉通りにとる」というのは、ASDの特性として書かれていることが多いです。ところが、勉強を進めていくうちに、発達障害の診断を受ける多くの人がADHD、ASD、LDなどの特性が混在していることを知りました。ですから、ADHDの特性が強い私にも、ASDの特性が強くでていると考えても間違いではないと思います。

診断前は、ADHDの特性を読んでは「ちょっと違う気がする」と思ったり、ASDの特性を読んでは「そこまでじゃないかな」と感じていました。そのために、自分が発達障害である可能性を疑いながらも、検査を受けたいと医師へ伝えるまでに何十年もかかってしまいました。

そこで、私が診断前には言葉通りにとっていた特性が、診断後にどのようなとらえ方になったのかを紹介します。個人の解釈ですが、発達障害の検査を検討している人に参考になるかもしれません。また、発達障害の特性が、個々に違ったかたちで混在することへの理解にも繋がるのではないかと思います。

「多動」

文字通り、見た目で「動きの多い人」だと思っていました。落ち着きがない人にみえるイメージです。もちろん私もよく動き、落ち着きがないです。しかし、目で見えること以外にも、多動があるとわかりました。

睡眠中の多動

私は眠っているあいだも、たくさん動きます。寝返りをうち、腕や脚の位置を変え、寝言も言います。暑さ寒さにも敏感だから、布団をとったりかけたり、服を脱いだり着たりもします。眠っている間は、起きているときよりも理性がきかず、感じるままに動くようです。

入眠には時間がかかり、体調が悪くて横になっても、何かを考えて寝付けないことが多いです。眠っても、後からはっきりと思い出すことができるような夢をみます。おそらく、睡眠中も脳の多動があります。
いくら寝ても眠いし、起きた瞬間から疲れています。身体も脳も休まる時間の少ないことが、発達障害の人が疲れやすく、長時間の睡眠が必要な理由だと感じています。

感情と感覚の多動

いつも心の中は、感情と感覚に振り回されている感じがします。
嫌な感情は何度も思い返し、なかなか忘れられません。どのように対処をしたら良かったのかを考え続けて食欲をなくし、あまり眠れず、生活全般に影響がでるほど時間をかけないと、消化ができません。

楽しい感情も、同じくらいに時間をかけないと日常に戻れません。心がゆさぶられて、興奮した状態が続きます。楽しいと、多動になりよく話すので、後からとても疲れます。
いずれの感情も、数日かけて消化することになります。だから、いつもとは違うことの後には、ゆっくり過ごして休む時間が必要です。
音や光、温度や湿度など、さまざまな感覚も過敏なので、不快な感覚で疲れてしまいます。

「衝動的」「衝動性」

衝動的な行動や言葉の先には、必ず人を傷つけることがある印象をもっていました。それに、自分は行動するまでには時間がかかるほうだし、あまり衝動的には動かないと思っていました。「考える前に動いてしまうという」という説明を読んでも、自分なりには考えてから動いていると思っていました。

行動の衝動性

しかし先程の、眠っているあいだの行動を当てはめてみると、自分にも衝動的な行動が多くあると理解できるようになりました。日常では、多少理性でおさえているのかもしれませんが、手触りが気になって勝手に人のものを触ってしまうこともあります。

言葉の衝動性

言葉の衝動性には、自覚がありました。不条理なことがあると衝動性が勝ち、傷つける言葉とわかっていても、思ったことをぶつけないと気が済まなくなります。大人になるにつれて、少しは言葉を選ぶようになりましたが、イライラが勝るとでてしまいます。気が短いのかな?と思っていましたが、衝動性のほうが納得ができます。

好きなものを見つけると衝動的に声に出す

また、「声に出さないと済まない感覚」が衝動的な行動にあたることにも気が付きました。自分が好きなこと、興味関心が強いことに関しては、特に我慢ができません。会話中でも、まったく関係のないことを言ってしまいます。

例:「あ!雨が降ってきた!」、「あ!猫がいる!」、「あの飛行機、新型だ!」
動くものに興味関心が高く、窓の外を頻繁にみている。同時に好きな犬猫や飛行機、クレーンなどを探し、空や雲をみている。外がみえない場所でも、音や空気の変化に気をとられているから、雨の音や天候の変化に早く気がつく。

例:「〇〇の曲がかかってる!」「あの工事の音、うるさい!」
会話や他のことをしながら、テレビやお店でかかる音楽も聴いている。音楽については、大好きな気持ちが抑えられず、かなり衝動的になりやすい。工事音など、嫌な音での動揺も隠せない。

このように、強い「興味関心のかたより」があり、好きなことに接したときの感情はとくに我慢ができません。私が受けたWAIS Ⅳの検査では、言語能力が平均値よりも20くらい高かったので、言葉の衝動性が強くでやすいのかもしれないと思っています。

授業中に席を立って歩きだす

ADHDの特性としてよく知られてきたのが、「小学校の授業中に席を立って歩きだす」だと思います。

私は幼稚園で授業中に歩いて怒られた経験があり、すでに小学校では我慢していました。だから記憶上、自分にはこの特性がないと思っていました。そのかわりに、座ったまま周囲にバレないように体を動かし、その感覚を発散していました。

幼稚園生や小学生なら、だれでも勝手に歩きだすことがあるものだろう、みんな動きたいのを我慢しているのだろうと思っていましたが、一般の人にはこの動きたい衝動すらないとわかりました。

歩きたくなる時は、気になることがあって、どうしてもいま確認したい!触りたい!という気持ちを我慢できないから動いてしまうこともありますが、特になにかをしたいわけではないことが多いです。理由もなく、とにかく「いま動かないと気持ちが悪い」という感覚で一杯になってしまいます。それを我慢すると、イライラというか爆発しそうな感覚になります。

おもに多動が原因と思われますが、集中力の低さ、居心地の悪さが混在すると、この衝動が強く現れて歩いてしまうと感じています。

「整理整頓が苦手」

言葉の通り、物の整理を想像していました。もちろん、私も部屋の片付けやカバンの中の整理が苦手です。しかしそれ以外にも、予定の整理、感情の整理、思考の整理も含まれているようです。

予定の整理と実行には、感情と思考の整理も必要

やることに関しては、間違えないようにしようとして、考えすぎます。やり残しなど、失敗が多いからです。そして、強い「先延ばしグセ」があるので、結局は考えた予定の通りに進めることができなくなります。

私が受けたWAIS Ⅳ検査では、処理能力が一般より20以上低かったので、頭で考えたことを実行するまでに、とくに時間がかかるのではないかと考えています。

例えば、スーパーの買い物も、先にする工程が多くて、行くまでに疲れてやめてしまうことが多いです。家に残っている野菜や調味料の在庫を確認し、残りものを使うレシピの中から食べたいものを考え、なにを買うのかをメモに書きます。日焼け止めを塗り、服を着替え、持っていく荷物の準備をします。一つ一つに時間がかかり、疲れてしまいます。もう行きたくない、どうしよう、やめようかな?と悩みだすと、夜になって諦めることが多いです。

出かける前の工程での「こだわり」をやめて、とりあえずスーパーへ向かえば解決するのでは?、と思われるかもしれません。私も何度かやってみました。しかし準備不足で行くと、なにを買ったら良いのか全くわからなくなり、スーパーで混乱するか無心になります。なにを食べたいのかもわからなくなり、ろくに買い物ができずに帰ってくることになります。だからできるだけ、先に買うものを決めて買い物へ行きたいのです。

余談になりますが、私が日常でやることが重なって整理できずに混乱した時は、することを声に出しながら、目でも見やすくすると、冷静に対処がしやすくなります。荷物の整理をする時も、料理も、声に出して並べながらやります。耳と目で確認することで、ミスが防げてちょっとテンポよくできます。外では一応、独り言は控えているつもりですが、衝動的に言っているかもしれません。

「順番を待てない」

これは、お店などで列にならんで順番を待つことができないというイメージのみ持っていました。たしかに、幼稚園児の頃は並ぶことができなかったかもしれませんが、並ぶことをしっかり教える日本の教育のおかげで、小学生の頃には順番を待つことはできていたと思っていました。人気のお店でも、先にわかっているなら納得して並べます。

予定の変更が待てない

ところが、病院で予約通りにこない順番を一時間以上待つ、いつもは朝イチにくるはずの宅配便が12時になっても来ない、といった「自分の想定と違うこと」がおきて、「自分の行動が自分で決められない」、と感じたときのストレスがかなり強いのです。

予定していた通りに物事が進まないと、大きな不安をもち、混乱しやすくなります。そして、具体的にあとどのくらい待つのかがわからないと、他のことができなくなります。ただただ、トイレも我慢して待ち続けます。待ってもまったく先が見えないまま長時間経つと、今度は不安とともに怒りを感じます。受付や電話で、強い口調でどうしたら良いのかを確認してしまいます。我慢した結果、とても衝動的になっていると思います。

この特性が強いと、対人関係や社会でのコミュニケーションに支障があると思います。この世の多くが、自分の想定通りには進まないからです。予期していないことが起きたときに、冷静に自分の行動を決めて対処することができず、嫌な感情でいっぱいになるのは、本人も辛いです。個人に対しては悪い感情を持っていないのに、人へ嫌な態度をとってしまう自分がとても嫌です。しかし、なかなか良い対処法がわかりません。

「集中力がない」

興味関心がないと集中できない、なかなか集中するモードに入れない、ということは自覚してきました。そのかわりに深い集中力で処理できるので、あまり困っていないとも思っていました。しかし、これが日常生活では、とても困る問題だとわかりました。

最後までもたない集中力

ADHDの診断を受けてから、自分の「集中できない」特性で明確にわかったことがあります。それは、何かをするときに、「途中までは集中して頑張るけれど、詰めが甘い」ということです。なにかをすると、終わりのほうになると疲れて集中が途切れ、時間も足りなくなります。焦った結果、最後は衝動的に適当に終わらせてしまいます。

過集中になった場合も、時間の感覚がわからなくなり、やるべきことが予定通りに進まず、余裕がなくなります。あわてても「こだわり」、「パターン化した行動」は変えにくく、予定通りに進みません。

どんなに頑張ったことも、最後を適当に済ませてしまうので、仕上がりのレベルが低い結果になってしまいます。最近は、この場でコラムを書いている時、料理をする時にそれを強く感じています。慌てないように言い聞かせますが、それでもなかなか落ち着いてやり切ることができません。

まとめ

診断前は、「言葉通りにとる」という特性も、「人に言われた言葉を、言われたままに受け取ること」だと思っていました。当初は、文章も含めるとは思っていませんでした。

私が、発達障害の特性を読んでもあまり理解ができなかったのは、言葉を深く広くとらえることができないからだったようです。具体的にハッキリと書かれたものを読めば、理解ができます。だから、さまざまな情報を読んで、表現の違う文章から学び続ける必要があると感じています。

特性を理解してきたらわかったこと

人には個性があり、特性の混在の違いが個性でもあると思っています。

だから、医師などが発達障害の特性を文章で書くときには、「ふんわりとした表現」で、様々な意味を含んで書くのだろうと思います。さらにそれらが混在しているのが実状ですから、当事者が読んで、意図する通りに理解できるかというと、私は大きな疑問をもってしまいます。

発達障害について書いている文章は、子供の保護者や学校の先生などの管理する側だけではなく、幼少期に診断を受けていない当事者が読むことも増えています。

発達障害の特性を文章で表現することは、個性があるのでとても難しいと思います。しかし嬉しいことに、私が発達障害の情報を積極的に読んでいるこの数年のあいだにも、表現が実状にそったものに近い文章を目にすることが増えてきました。読んでみると、理解しやすい文章が増えてきたように感じています。当事者の発信も増えていて、自分に近いと感じる人もいます。厚生労働省のページですら、少しずつわかりやすく変化しています。

当事者にもわかりやすい、発達障害を説明する文章が増えれば、知らずに成長した人が検査を受けることに繋がり、もっと自分の特性を生かした人生を送ることができるかもしれません。本人が検査を希望しなくても、対処法を知るきっかけになります。
私のように特性を知らずに社会へ出て、悩み苦しんで人生に絶望する当事者、二次障害を発症する人が少しでも減ることを願っています。

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