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大器晩成の漫画家 道草晴子さんの世界

13歳でちばてつや賞を最年少受賞し、14歳で閉鎖病棟に入院した漫画家

道草晴子さんは13歳のときに史上最年少で『ちばてつや賞』の優秀新人賞を受賞し、華々しく天才少女として、プロの漫画家になった。

しかし、道草晴子さんはその後が大変だった。

14歳で閉鎖病棟デビュー⁈

14歳のとき、道草晴子さんは精神科へ初めて受診し、統合失調症の診断をもらい、閉鎖病棟の入院を余儀なくされる。その時の現状を再デビューした時の著書、『よりみち日記』で心痛な描写で表現している。

一度見たら忘れられない描写。

私自身も15歳の、高校1年生のときに閉鎖病棟デビューしたのだが、道草晴子さんほど、若い入院はさすがにしなかった。ある意味、入退院歴17回という過酷な入院歴がある私でさえも、道草晴子さんの波乱な人生には唖然となった。

この人、すごいじゃん……

最初、道草晴子さんの漫画を読んだ感想はそれだった。その一言に尽きた。入院患者のあるあるが病棟編には詳細かつ、コミカルに描かれている。病棟のみんなでモーニング娘のダンスを踊りまくったこと、何度も知らないうちに検査をされ、傷ついたことなど、普通だったらシュールになるような、暗めの話題を道草晴子さんのユーモラスなエッセンスによって、読後感は暗くならない。

初めに下りていた統合失調症という診断も、大人になってから誤診だった、と判明しても、道草晴子さんは周りを責めるようなことはせず、そうだったんだ、と受け流した。

下北沢界隈で、坂口恭平さんとの電話

道草晴子さんは退院後、ディケアや作業所、学童保育勤務などに通いながら絵を描く勉強を続けていた。一度、画材道具を捨ててしまうというアクシデントがあったものの、絵を描くことだけは何としてでも続けたかったのだ。

道草晴子さんは下北沢界隈の本屋さんや喫茶店で過ごすのが好きだった。

消えない希死念慮に道草晴子さんはそんな時、坂口恭平さんに電話した。補足すると坂口恭平さんは『いのっちの電話』を立ち上げ、自身の電話番号を公開し、始めてから3万人の人と会話し、自殺予防に努めているすごい作家さんだ。坂口恭平さんはTwitterを始めとするSNSでも活動しているので、もし、つらいことがあったら坂口恭平さんに電話を掛けるのもいい方法だと思う。

道草晴子さんは坂口恭平さんに電話をかけ、一念発起する。出版社に自作の漫画を売り込むことにしたのだった。

ちばてつや先生、山田詠美先生からのエール

こうして、発売になったデビュー作、『よりみち日記』は2015年の発売当初、話題になり、道草晴子さんは漫画家としても活動の幅を広げている。『よりみち日記』では敬愛するちばてつや先生、好きな作家さんである山田詠美先生からのエールの言葉が散りばめられている。

道草晴子さんの作風はその日常の中に光を当てるような描写が魅力だ。つらい体験の中であってもすさんでしまった心にそっと触れるような作風は、これからもファンを魅了していくに違いない。

最後に敬愛するちばてつや先生と対談したときの言葉の中から、ちばてつや先生先生からのエールを紹介する。

『晴子ちゃんは不登校になって入院したりして、道を踏み外したように思っているかもしれない。けど、そんなまわり道したこともすべて晴子ちゃんの作品にはよく あらわれていて、それは学校に行っても学ぶこともできないことで、結局、晴子ちゃんが選んだ道は ぜんぶ正解だったんだよ』

これを機会に道草晴子さんの漫画の世界に足を踏み入れて見てはいかがだろうか?

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